「永遠に工事中」横浜駅の位置は3度も変わった 初代駅は行き止まり式、「横浜飛ばし」の列車も

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横浜駅
つねに工事で変化し続ける横浜駅。未完の建築物として有名なサグラダ・ファミリアを超えたともいわれる(筆者撮影)
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1872年、日本初の鉄道が新橋駅―横浜駅間を走った。2022年は鉄道開業150年という節目の年にあたる。

日本初の鉄道の起終点は後に駅名を改め、新橋は汐留駅に、横浜駅は桜木町駅となった。初代の横浜駅は開港場に近い場所に設けられたが、東海道本線を西へと伸ばすにあたり不都合が生じた。西へと向かうには、列車の方向を変えなければならない。それには、スイッチバックと呼ばれる作業を伴う。

現代の東海道本線は電車で運行されているので、スイッチバックをしたとしても作業時間は短い。しかし、当時は蒸気機関車による運転なので、その作業には5分程度の停車時間が必要だった。列車の運行本数が少ない当時なら、その程度の停車時間はそれほどダイヤには影響しない。それでも、政府や鉄道当局は5分の短縮にこだわった。

「横浜飛ばし」はなぜ起きたのか

1992年に東海道新幹線「のぞみ」が運行を開始した際、一部列車が名古屋を通過する「名古屋飛ばし」は話題になったが、東海道本線のスイッチバック解消では「横浜飛ばし」問題が発生した。

スイッチバック解消のために建設されたのは、横浜駅を経由しない短絡線だった。これは横浜駅に停車しない列車の誕生を意味した。地元政財界からみれば、わずか5分を短縮するためだけに横浜を素通りする列車が生まれたことは許容できる話ではなかった。

桜木町・鉄道開業記念碑
初代の横浜駅だった桜木町駅付近には鉄道創業の地を示す碑がある(筆者撮影)

当然、横浜政財界は短絡線ルートに猛反対する。猛烈な反対に鉄道当局も折れるしかなく、妥協案として1901年、短絡線上に平沼駅を開設した。平沼駅は、現在の相模鉄道(相鉄)平沼橋駅付近にあった駅で、東海道本線の全列車が停車した。それだけを見れば、平沼駅は現在の横浜駅と遜色のない扱いだったことになる。

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