V6三宅健の退所に見る「40代でアイドル」の真価 "職人集団"と言わしめたアイドルが築いたもの
職人気質という言葉もあるように、“職人”と言ってしまうと、頑固で人の言うことを聞かないような印象がある。大衆のニーズに応えない、孤高のイメージ。
だが、アイドル・三宅健のやってきたことはその真逆である。全力でファンのほうを向き、ファンのことを考えてきた。
そもそも特技である手話でさえ、学び始めたきっかけは、V6の10周年記念の握手会で、聴覚障害者の女性に手話で話しかけられたが答えることができなかった――という経験からなのだ。
次々に人が流れていく握手会での一瞬の出来事だったが、「言葉をかけてあげられなかったことがすごく気になっていて、自分の中で」と振り返り、自ら手話講習会に申し込み、多忙な中、週1回、2時間の講習に3年間通い続けた(テレビ朝日『徹子の部屋』2021年8月25日放送)。
現在、NHKの手話番組等で見ることができる三宅の手話は、その努力の賜物である。
さらに「コンサートで車いす席が設けられているので障害がある方にも来ていただいていることは知っていましたが、ろう者の方々がコンサートを見に来ていることをそのときまで知りませんでした」とも語っており(『女性自身』2016年10月18日号)、コンサートをDVD化する際にはMC部分に字幕をつけることを提案。20周年のタイミングで、三宅の提案は受け入れられることとなった。
“障害者への配慮”というような善行としてまとめられがちなエピソードではあるが、“障害を乗り越えて”という表現に違和感を持ち、パラリンピックなどのスポーツに対する共感に「障害のあるなしは関係ない」(『女性自身』2016年10月18日号)と語った三宅からすると、単なる美談にされるのは不本意なのでは、とも思う。
三宅は“ファンを喜ばせる職人”だった
このエピソードから言えるのは、三宅は数としては少数のファンにも配慮を欠かさないアイドルだ、ということだろう。誰ひとりとしてファンをおいていかない、ファンの楽しみを少しでも取りこぼさない、ということに力を尽くしていたように感じられる。相手を楽しませようとする行動の根拠は“障害者だから”ではなく“ファンだから”だ。
三宅は、V6の解散後もメンバーの中では唯一ソロアルバムを出し、ソロコンサートも開催。そしてその若々しい魅力を収めた写真集を発売するなど、40代アイドルとしてはかなり精力的な活動を行っている。何より、ジャニーズ事務所のタレントとしては珍しくTwitterとInstagramの両方を開設し、ファンと向き合い続けてきた。
それは、職人というイメージとは真逆と言ってもいいし、もしくは“ファンを喜ばせる職人”だったと言ってもいいだろう。
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