なお、公平を期するなら、2%は達成できなかったがデフレの状態は脱却した金融緩和政策には、「やるべきだったし、効果はあった」と評価すべきだろう。
政策の問題として教訓は明確だ。金融政策「だけ」で、日銀の政策を考えてはいけないということだ。目的にとって必要なら、手段の分類が金融政策であっても財政政策であっても構わないではないか。そして、手段を複数組み合わせてもいいのは当然のことだ。
ところで、財務省と日銀の関係については、総裁在任中の2013年に「政府・日銀の共同声明」の起草にかかわった白川前総裁の言葉に耳を傾けたい。白川氏は、将来の日銀が柔軟に政策変更ができるような条件作りに腐心したと、今回の『週刊東洋経済』特集に寄せた手記で詳細に説明している。
白川氏の手記をぜひ読んでいただきたいのだが、共同声明に日銀側から政府への要望として、日本経済の成長力強化と共に、「政府は、日本銀行との連携強化にあたり、財政運営の信認を確保する観点から、持続可能な財政構造を確立するための取り組みを着実に推進する」と書き込むことを強く求めたのだという。
しかし、「財政再建」の努力を日銀から政府にお願いし、念押ししているのだから、デフレ脱却に向けてはまったくの逆効果である。財務省にも行動を求める心意気はいいのだが、促すべき方向が逆だった。なんと残念なことか。白川氏は単に勘違いしたのか。あるいは、簡単にはデフレから脱却できないように呪いをかけたのだろうか(まさか!)。
「殿」に望みたいこと
財政は、ただ持続するために借金を返しているといいというものではない。状況に応じて拡張的であったり、緊縮的であったりするべきものだ。
風貌的に、岩田前副総裁がサムライなら、植田次期総裁は「殿」である。殿は、おっとりとゼロ金利の釣り糸を垂れていていいが、「必要があれば躊躇なく」(黒田総裁の口癖だった)下知を飛ばしてほしい。「敵は財務省にあり!」と。
71歳の元東大教授にとって、財務省も日銀も幹部の面々の大半は教え子だろう。経済常識を説教するのに遠慮は要らない。5年後に再任されたいと願うような煩悩とも無縁だろう。
高齢の日銀総裁も悪くないように思える。
(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承下さい)
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