50歳がんで逝った妻が残した3年間の闘いの記録 夫が「亡き妻の音源」を使って発信を続ける理由

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<今はですね。
ほとんど横になってる。
頻脈ぎみなので、トイレに歩いていったあとは酸素吸入をしてる。
肝臓が腫れて胃を圧迫しているので、あまり食べられないようだ。その分、回数を増やすようにしている。
気がかりなのは、生薬がだんだん飲みにくくなっていること。母親、長崎の両親に言っていないことだ。>
(2013年6月10日「めまぐるしい重病人」)

その後も月の下旬までTwitterで毎日の食事をアップするなどの発信を続けたが、6月25日の深夜に亡くなる。50歳だった。

しーらさんによるTwitterの最後の投稿

サラーマトの記は「存在感が違います」

訃報は夫の公也さんの手により、数時間後にしーらさんのTwitterにアップされた。その早朝、公也さんは自身のTwitterでしーらさんへの思いを連投する。

<淡々と葬儀の段取りをすすめる。イオンに電話したら近所の契約葬儀屋を紹介された。自宅でのシンプルなものにする。それでいいんだったよね、と左側を向くと美しい寝顔があるのでまた泣く>
<仮眠しようとベッドに潜ると広すぎて泣けるし布団ない>
<ぼくはカミサンといっしょにVOCALOID音源化されて、ただし利用規約でデュエットでしか使えないデータベースになって、永遠にカップリングされるような存在になりたかった。>
(2013年6月25日/@mazzo-Twitter)

この連投に、文芸評論家の江藤淳氏が残した『妻と私』の一節がよぎった。公也さんと同じく愛妻家で、がんを患った妻とともに闘病し、ついに看取った翌年に著した作品だ。

<いったん死の時間に深く浸り、そこに独り取り残されてまだ生きている人間ほど、絶望的なものはない。家内の生命が尽きていない限りは、生命の尽きるそのときまで一緒にいる、決して家内を一人ぼっちにはしない、という明瞭な目標があったのに、家内が逝ってしまった今となっては、そんな目標などどこにもありはしない。ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、意味のない死に向かって刻一刻と私を追い込んでいくのである。>
(江藤淳『妻と私』-九)
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