ほとんど横になってる。
頻脈ぎみなので、トイレに歩いていったあとは酸素吸入をしてる。
肝臓が腫れて胃を圧迫しているので、あまり食べられないようだ。その分、回数を増やすようにしている。
気がかりなのは、生薬がだんだん飲みにくくなっていること。母親、長崎の両親に言っていないことだ。>
(2013年6月10日「めまぐるしい重病人」)
その後も月の下旬までTwitterで毎日の食事をアップするなどの発信を続けたが、6月25日の深夜に亡くなる。50歳だった。
サラーマトの記は「存在感が違います」
訃報は夫の公也さんの手により、数時間後にしーらさんのTwitterにアップされた。その早朝、公也さんは自身のTwitterでしーらさんへの思いを連投する。
<仮眠しようとベッドに潜ると広すぎて泣けるし布団ない>
<ぼくはカミサンといっしょにVOCALOID音源化されて、ただし利用規約でデュエットでしか使えないデータベースになって、永遠にカップリングされるような存在になりたかった。>
(2013年6月25日/@mazzo-Twitter)
この連投に、文芸評論家の江藤淳氏が残した『妻と私』の一節がよぎった。公也さんと同じく愛妻家で、がんを患った妻とともに闘病し、ついに看取った翌年に著した作品だ。
(江藤淳『妻と私』-九)
