50歳がんで逝った妻が残した3年間の闘いの記録 夫が「亡き妻の音源」を使って発信を続ける理由

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新たな主治医はQOL(生活の質)を重視して向き合ってくれた。しかし、その背後にある事実は厳しさを増していく。2013年3月の日記に、迫ってくる死に対する本心が示されている。

<命の期限がわかっているとして(そういう言葉を使っていたかどうかは失念。はっきり「亡くなる日」って言ってたかも)、その1カ月前まで抗がん剤をやるか、3カ月前でやめるか、どうしますか?と聞かれる。この病気だと死ぬ1カ月前、というのは自分でわかるものだそうだ。返事はできなかった。多分私はまだ、自分がもう少し長生きできるって思っていたいのだ。
QOLと余命延長との関係の、科学的研究も進んでいるという。延長、といってもどのくらいなんだろう。なんか私には、どの言い方も「どっちにしてもあなたは遠からずがんで死ぬ」としか聞こえない。それが事実ってものなんだろうけど、まだ受け入れられないのだ。事実を受け入れて、準備をして、周りにはなるべく迷惑をかけずに生を終える。そうしなさい、そうしないと後悔しますよと言う人もいる。がんはそれができる病気なのだから、がんで死ねる人は幸運だとさえ言う。そうかもしれない。そうできるときが来るかもしれない。けど今はまだ、奇跡が起きるという希望を持っていたいのだ。>
(2013年3月31日「ウィークリータキソール 16回で終了」)

「奇跡を起こす」と心に決め、ブログを書いた

4月、5月と月が進むにつれ、予断の許さない状況になっていく。肝臓への転移が判明したときでもその日に状況を報告していたしーらさんだが、記事をアップするまで数日の間を置くようになった。それでも「奇跡を起こす」と心に決め、心が落ち着いたときにブログを書いた。夫も一心同体で付き添う。

<状況が変わってきたので、旦那と、またじっくり話した。あきらめたほうが気が楽なような気がしかけていたが、まだあきらめないことを再確認。>
(2013年5月19日「漢方と鍼」)

5月下旬にはホスピス(緩和ケア病棟)への転院を強く勧められた。できるかぎり自宅にいたいと願いを伝えると、在宅ホスピスを実践している医師を紹介してくれた。正常値を大きく逸脱した検査結果と主治医の説明を前に、「さすがに、最悪に備える時がきてしまったらしい」と思う。しーらさんによるブログの更新は6月10日が最後だ。

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