「どうした? マドンナ」整形批判への反論に矛盾 女性への年齢差別に自ら囚われた姿に哀れみ

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つまりマドンナは、女性に若くあることを求める世間が、64歳になった自分に対して意地悪をしていると言っているのである。たしかに、世間には、そういった古臭い、そして嫌な価値観がある。とりわけハリウッドは、昔から歳を取った女性にとても冷たくしてきた。

男性は何歳になっても映画の主役を務めることができ、恋のお相手役には娘のような年齢の女優をあてがってもらえる。女優に期待されるのは美しさで、それがその人の価値。「30歳になれば女優生命は終わり」と言われた時代もあった。若く見えることは、長い間、エンタメ界の女性にとって死活問題だったのである。

マドンナ 整形
1984年当時のマドンナ (写真:Fryderyk Gabowicz/Getty Images)

だが、それと一緒にしようというのは、話のすり替えだ。人々が揶揄、あるいは哀れんでいるのは、マドンナが「歳を取って見えるから」ではなく、「(不自然な形で)そう見えないから」なのだ。

ソーシャルメディアには「これは女性嫌悪でも年齢差別でもなく、整形手術嫌悪だよ」というマドンナへの反論が見られたが、そのとおり。別のコメントで、やはり整形のしすぎで全然違う顔になったマイケル・ジャクソンも批判されたことを誰かが指摘していたように、男性だったとしてもそこは同じだったはずだ。

世間の価値観に縛られていることが露呈

さらに言うならば、今回の場合、整形手術自体を批判する声は一部にすぎない。本人も認めるように、マドンナは、世間が恐れをなすようなパワーとスタミナを持つ女性。世間より常に上、先を行ってきた人物だ。その彼女が、世間の価値観という、一番無視するべきものを気にし、少しでも若く見えるべく高いお金を出して痛い思いをしたということを、多くの人は残念に感じたのである。自らが批判し、ばかにする基準を、マドンナは自分自身に押し付けているのだ。それは大きな矛盾ではないか。

広い視野で見れば、マドンナのような人物をもがんじがらめにするほど、女性に対する美の基準についての思い込みは根強いのだとも言える。しかし、彼女がそこに迎合してしまったことは、若い女性たちにどんなメッセージを送るのだろうか。「あれほど見事に鍛えたボディと綺麗な顔の持ち主でも顔をいじらないといけないなら、私もしなきゃいけないのか」と考える女性もいるかもしれない。

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