宇多田ヒカルの名曲で露呈した台湾社会の一断面 「First Love」を歌った台湾芸能界の大御所と社会のギャップ

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筆者はこの頃、台北そごう百貨店近くのカフェでアルバイトをしていた。店の近くには新聞社カメラマン御用達の写真館があり、カメラマンらは毎日そこで撮影したフィルムを現像。写真ができるまでの数時間、筆者のいたカフェでひと休みしつつカメラマン同士、情報交換していた。

酷暑の1997年8月、突然、犯人が付近に出没したとの一報がカメラマンらに入った。それまで和やかに談笑していた彼らだが、見たこともない緊張した面持ちで身支度を始め、店を出ていく際、すぐに店のシャッターを閉めて身を潜めるように私たちカフェの従業員に忠告したのだ。

犯人らは白暁燕さんを殺害した後も犯行を繰り返しており、もはや死ぬことも恐れずより凶暴化していた。市民が銃撃戦に巻き込まれる可能性が大いにあり、実際に警察との銃撃戦も発生した。カメラマンらが店からいなくなった数分後、大通りに出てみると街から人影がなくなっていた。

前1996年には、台湾発の総統直接選挙で中国がミサイルを台湾海峡周辺に発射し、妨害と威嚇を企み緊張感が高まったが、それとは裏腹に現地に住む筆者にはまったく危険感はなかった。しかし、白昼に台湾有数の繁華街から人が消えた瞬間を目の当たりにしたこのときは、心の底から恐怖を感じたことを覚えている。

誘拐殺人事件が国際問題に発展

事件の終幕も台湾中がテレビ中継を見守るほど関心を集めた。1997年11月、3人の実行犯のうち、逃走を続けていた最後の犯人・陳進興が南アフリカ大使館の官邸に侵入、人質を取り立てこもったのである(共犯2人はこの事件の前に警官との銃撃戦の後、自殺)。1997年当時、台湾と南アフリカには国交があったが、まさか誰も事件が国際問題化するとは予想していなかった。

最終的に陳は、現在の駐日代表である謝長廷氏の弁護を受けることを条件に、人質らを解放し投降した。謝代表は戒厳令下で言論弾圧があった「美麗島事件」で名を馳せた敏腕弁護士であるばかりでなく、総統選挙では民主進歩党(以下、民進党)から彭明敏氏とペアで副総統候補として出馬しており、政治家としても力があった。陳としては法曹界と政界の両方でパイプのある謝代表に弁護を依頼することで、極刑回避を期待していたのかもしれない。

ところでこの事件で、最前線で警察の陣頭指揮を執っていたのは、中国国民党(以下、国民党)で最も人気が高く次回の総統選挙に出馬が取り沙汰されている現在の新北市長の侯友宜氏である。台湾全土を震撼させた凶悪事件のキーマンが、30年後に台湾のかじ取りを担う政治家になっているのはたいへん興味深い。

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