宗教虐待で心を病んだ兄が親から絶縁される残酷 社会的に孤立させるエホバの証人の「排斥」

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もともと信者ではなかった兄の妻は両親と会えるが、排斥された兄は会えない。実家に妻が立ち寄っていても、兄は家に入れず近くで待っているしかない。父親は「家に〇〇県(兄の住む県)ナンバーの車が停まっているのを他の信者に見られたらどうするんだ」と、周囲の目に怯える。それほど兄と接触することを避けているのだ。

現役信者である香さんも、兄と会っていることが他の信者の知るところとなれば排斥される可能性がある。だが2年ほど前から組織に不信感を抱くようになり、香さんは兄との交流を再開した。

「兄に再会して、精神疾患を患っている兄にとって必要なのは、家族の愛情だったと痛感しました。兄の行動の結果ではなく、なぜそうした行動をするようになってしまったのかを考えてあげられていなかったことが最大の後悔です」

個人の責任にする教団

前編の記事「脱会した宗教2世が『母に会えない』過酷な現実」で登場したエホバ2世の久美子さんも排斥によって母親と会うことができず、親類との関係を断たれた。

エホバの2世は、就労や進学を制限されたことで経済的に自立できず、信者以外との人間関係を築くことができていない人が多い。排斥は、当人を社会から孤立させ、精神的にも経済的にも追い詰める。

排斥によって苦しむ2世がいることについて、エホバの日本支部広報部に見解を聞くと、次のように答えた。

「エホバの証人は皆、聖書の考えを学び、受け入れ、実践することを個人的に決定します。個人的に聖書のレッスンを受け、バプテスマ(洗礼)を受けたエホバの証人になる準備ができたと感じるまで、しばしば1年から2年かかります。

「バプテスマの前に、会衆の長老たちはバプテスマを受ける人と一緒に聖書の教えやエホバの証人の信条と活動に関する数十もの質問を復習します。聖書的な意味での悔い改めを示さない人だけがエホバの証人の会衆から除かれます。したがって、排斥は個人の選択と行動の結果です」(回答の一部を抜粋)

教団は「個人的な決定」を強調する。自ら教義を理解して洗礼を受けたことから、教義に反して排斥されるのは、あくまで個人の選択と結果だとする。たしかに洗礼は、長期間かけて教義を学んだうえで受ける。しかし、信仰する親の元で生まれた2世が成人前に洗礼を受け入れたことは、教団の言うように「個人的な決定」と言い切れるだろうか。

洗礼を受ける前の幼児期から、2世たちは教団が理想とする信者像に基づいて教育されている。香さんの兄が洗礼を受けたのは中学1年生のとき、久美子さんは小学5年生のときだ。当時洗礼を受け入れたとしても、その後、成人していくなかで別の価値観に触れ、エホバの教義から離れていくことは十分にありうる。

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