その背後には、全世界の至る所に事業所があったり工場があったりする。社長と呼ばれる人でも、従業員の大半は会ったこともない。顔すら合わせていないという状態で頂点に君臨する。これでは裸の王様もいいところです。
それなのに、なかには一糸乱れぬような動きを示し、そして結果に結びつける会社が出てくる。そのこと自体が奇跡です。
22世紀、23世紀の人は、20世紀を振り返って、信越化学工業の金川千尋、トヨタ自動車の石田退三、または豊田英二といった経営者を指して、これが20世紀のモーツァルト、ベートーベンだったと言うのではないでしょうか。
経営者の仕事を書き留めるという仕事
経営ということで日本で最初に名前が出てきたのは松下幸之助さんで、経営の神様と呼ばれました。
松下幸之助さんが松下電器産業の社長を退いたのが1961年で、そこから先は正治さんにバトンを譲っています。もちろん、その後にも熱海会談に来てはいますが、日々の経営を見ていたのは1961年まででしょう。
1961年当時の松下電器産業の売上高を今の貨幣価値に直すといくらか。ざっと5000億円です。本田宗一郎が退いた時点の本田技研工業の売上高はと言えば、ざっと7000億円。
これに対し、今の本田技研工業はと言えば、15兆円クラスです。それを創業者とは無縁の人が経営しています。
本田宗一郎はすごいと言いますが、現在の規模から見れば、中小企業のおやじさんです。松下幸之助もそうです。働いている人の顔を見て、その人たちが何者かを熟知したうえで経営ができました。
一方で、今の日本企業の経営をあずかっている人々は、当時とはまったく桁が違う、見える景色がまったく違う、そんな巨大な企業の操縦桿を握っています。これは恐ろしいことです。
そういうところで人知れず知恵を発揮している経営者がいる。でも、彼らの経営している企業の全貌を見ること以上に、彼らのしている仕事の全貌を見ることはもっと難しい。よってそれについて誰も語らない。ですが、それでいいのでしょうか。
経営学者として、せめて私にできることは、20世紀の歴史につめ跡を残すような総合芸術をやった経営者の業、またその後ろにある思考回路をきちんと書き留めることだと思います。
(後編へ続く)
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