夫アメリカ、妻日本で「妊活中」夫婦の大胆な選択 「時差17時間」の遠距離婚活から現在まで

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「会社にはアメリカ駐在員として現地に行かせてもらえるように交渉するつもりです。それが無理で退職することになっても、2028年に帰国したら出戻りで復職させてもらおうと思っています。そんな制度が会社にあるのかはわかりませんが、言ったんもん勝ちですから」

ふてぶてしいまでの強さである。勤務先を愛しつつ、自分も相応の貢献をしてきたという自信がなければこんな発想はできない。新入社員時代は思いもつかなかっただろう。40歳近くなっての結婚にはこうしたメリットもあるのだ。

大企業を辞めたときはすでに30代半ば…結婚などは思いもよらなかった

さて、サンフランシスコの耕平さんがZoom画面に入って来た。仕事場からの帰りなのだろうか、自家用車の中から登場した彼は、EXILEメンバー風の精悍な風貌である。「遅れて申し訳ありません」と2度ほど謝ってくれたうえで、「なぜアメリカにいるのか」をよどみなく話し始めた。

「日本生まれの日本育ちです。高卒でいわゆるガテン系の仕事を転々としていました。でも、僕は屈強な体をしていません。50歳までも働き続けられないと思い、大企業の営業職に転職しましたが、マネジャーに昇格したあたりで壁にぶつかりました。高校卒業という学歴では上に行けないと痛感したんです」

20代後半までは「女性と誠実な関係を結ぼうとは思わずに遊んでいた」と打ち明ける耕平さん。仕事で壁にぶつかったあたりから遊ぶ意欲も減退し、結婚などは思いもよらなかったという。

「その大企業を辞めたときはすでに30代半ばでした。そこから日本の大学に入り直しても、医者や弁護士にでもならない限りはつぶしがきかないでしょう。自分の状況を変えるにはアメリカの大学に入るしかない、と思いました。僕としては合理的な判断をしたつもりです」

借金をして大学に通い、卒業後はグローバル展開をしている会計事務所で働いている耕平さん。現在はアメリカ公認会計士の資格取得を目指している。

「まだ下っ端で、エクセルやワードと格闘する味気ない仕事です。人と対峙するほうが自分には向いていると思っていますが、就労ビザを維持するためには今の会社に在籍する必要があります。将来的にはグリーンカードを取得するつもりです。そうすればどんな仕事にも就けます」

夢の途上にいる耕平さんだが、学費ローンを返し終えたこともあって精神的な余裕が生まれている。そして、「遊びではなく安定的な関係が欲しい」と思うようになった。今の立場ではカリフォルニア州で遊びにくい、という現実もある。

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