小栗旬「ハマりすぎない役者」に"ハズレ作"ない訳 「鎌倉殿」の次に選んだのは原点回帰の当たり役
長い時間をかけて役を掘り下げていくことを好む小栗は、大河でも舞台でも変わらず、内面を大事に丁寧に演じている。『ジョン王』は6年ぶりの舞台出演ながら発声は明瞭で、長ぜりふも朗々と語る。さらには歌唱もする。2017年にも福田雄一演出の『ヤング・フランケンシュタイン』でミュージカルに挑戦しており、今回はそれ以来の舞台出演となった。
『ジョン王』の面白さは、小栗演じる私生児を、現代の若者が13世紀に紛れ込んでしまったような描き方をしていることである。
(以下、ネタバレがあるのでご注意ください)
開幕すると、小栗は、舞台奥にあるオーチャードロードと呼ばれるオクシブ(奥渋谷)に向かう通りに面した駐車場から、パーカーとジーンズ、スニーカーというラフないでたちでステージにふらっと上がってくる。そこで舞台上の見たことのない世界を物珍しそうにケータイで撮影するのは、小栗の主演作のひとつで映画化もされた連ドラ『信長協奏曲』(2014年、フジテレビ)にもあったシチュエーションだ。
「信長〜」は、なぜか戦国時代に紛れ込んだ高校生が信長と顔が似ていたことから入れ替わり、戦国の世で揉まれ、たくましくなっていく物語。戦国の世をスニーカーで生き生きと動き回った。
『ジョン王』の小栗演じる私生児は、パーカーとジーンズに甲冑を身につけて中世の騎士のようになり、王家の一員としてジョン王を支えながら、いつしか冷静に世界を見て、イギリスのために働く頼もしい人物となっていく。
小栗旬の「現代性」を生かす演出
ひとりの人物の変化と成長は、小栗の得意技といえるだろう。「鎌倉殿」の義時も、伊豆の豪族の、のんきな次男坊がたまたま源頼朝と身内になって鎌倉幕府の中心を担うようになり、最終的には誰よりも鎌倉のことを真剣に案じる人物として死んでいく。あくまで「鎌倉殿」の物語の中での役割ながら、純粋な少年時代から老獪な執権までの変化を丁寧に演じていた。
だが、そのなめらかな変化が彼の稀有な才能かといえば、そうではない。もちろんそれも才能のひとつではあるが、ほかにもっと稀有な点があるのだ。それは、作品世界に“完全にハマりきらない”ということである。そういう俳優だからこそ、シェイクスピア劇でパーカーにジーンズで登場し、ラストではまたその姿に戻ってオクシブへ去っていくことが成立する。
ラストシーンは演出の吉田鋼太郎が付け加えたもので、小栗が演じる私生児は突如現れた兵士に銃を向けられ剣を構える。だが、やや間をおいて剣を下ろし、甲冑を脱ぎ捨て静かに去っていく。ウクライナ戦争が行われている今の世の中、平和を願う吉田が挿入したシーンである。
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