「会社は山の中にあって、朝から晩まで働くわけです。移動はスクーターだからお酒を飲みに行くこともできないし。
だから久しぶりに漫画描いてみることにしたんですね。実は就職前に決めたんですけど。
『漫画と町工場、二刀流でいこう!!』って。
もしプロになれなくても、趣味で漫画描き続けていくのもいいかなって」
会社でスキルアップしていくと、出張に出されるようになった。
日本中を飛び回り、壊れた機械を直したり、改造したりした。
「わざわざ行ったら、電源が抜けてただけだった、なんて漫画みたいなこともありました。それで一緒に行った先輩とお酒飲んで。出張が好きになりましたね。岩手とか北海道とか、良かったな。
それで今も、漫画のために全国取材して飛び回るのが楽しいんですよ」
就職と同時に出版社への漫画の持ち込みもスタート
20歳で就職した見ル野さんだったが、20歳から出版社へ漫画の持ち込みも始めた。
「普通に働いてたら定年退職まで安定かもしれないけど、もうちょっと冒険したいなって思ったんですね。
とにかく漫画を描いて、いろんな雑誌に持ち込みましたね。『ヤングマガジン』、『ビッグコミックスピリッツ』、『ビジネスジャンプ』……。持ち込みの回数は、10年間で100回は超えてると思います」
その頃は、吉田戦車さん、相原コージさんなど、ショートのギャグ漫画の人気が高かった。だから見ル野さんもギャグ漫画を描いた。
「全滅でしたね。門前払いでした。レベルが低かったんだと思います。
22歳の時に某雑誌に応募した作品が優秀賞を取ったんですけど、賞の結果が載った号を最後に廃刊になってしまって。漫画家としては成功どころか、デビューもできませんでした」
漫画家として苦戦している間に、働いていた会社をやめてゲーム会社に転職した。
「アミューズメントゲーム機を作る会社に入りました。プリントシール機とか、ポーカーゲーム機とか、そういうのを開発する会社ですね。Tシャツに自分の顔を印刷する機械を開発したんですけど、発売直前に会社が倒産しちゃったんです」
借金取りがやってきて、会社の周りを取り囲んだ。見ル野さんたち従業員に罪はない。しかし、
「なるべくなら会わないほうがいいから、隠れて逃げて」
と指示された。
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