その後、他誌にも持ち込んで読み切りは載ったが、それでもなかなか連載を取ることはできなかった。バイトと漫画の二刀流で食いつないでいった。
デビュー作『東京ソレノイド』が連載終了して『東京フローチャート』という4コマ漫画が隔月4ページで始まった。
今まで書き溜めてきた漫画を持ち込んで
初の単行本『スナック鳥男 見ル野栄司短編集』(コアマガジン)として発売した時には、34歳になっていた。
「そんな折に、エンジニア向け情報サイト『Tech総研』から『インタビュー漫画を連載しないか?』という話が来ました」
製麺機、石油の検層機、超音波発生装置、などさまざまなモノを作る人たちをインタビューして、その姿をコミックにした。
出会うエンジニア、職人さんも心に残る人が多かったという。
連載を8年続け『シブすぎ技術に男泣き!』として結実
「今の時代は職人いなくてもいいって言われがちなんですけど、でもやっぱりいるんですよ。例えば某大企業でも、いいレンズを作る職人さんがいて、そのレンズがないと商品がうまく作れない。完全に手作業で、ロボット化とかはまだ当分無理なんですよ。
そんな貴重な人材がたくさんいます。
最初は『漫画家だからわからないだろ?』って舐めた感じで対応されることが多いんですけど、話しているうちに『あれ? この人、話わかるね』って感心されることが多かったですね。基礎的なことはいちいち解説しなくてもいいですから、説明も楽ですしね。
二刀流でやってきたのが初めて活きた仕事でした。
ただ連載時は、今までの漫画に比べたら話題になりましたけど、それでも全然でしたね。相変わらず売れない漫画の代名詞でした(笑)。ギリギリの生活でした」
この連載を8年間続け、単行本にできないか中経出版に持ち込んだ。
出版社内の会議では、意見は「売れる」「売れない」の真っ二つに割れた。
「出版社の営業の方が、
『こうやって真っ二つに割れる本は売れるから出版すべきだ』
って言ってくれて、2010年に『シブすぎ技術に男泣き!』が発売されることになりました。それで出版されたら、すごく読まれました。それが40歳の時でした。40歳がターニングポイントになって今までできなかった仕事がいろいろできるようになりました」
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