40歳にモノづくり漫画で花開いた男が掴んだ天職 「シブすぎ技術に男泣き!」見ル野栄司の舞台裏

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「美術は得意だったんだけど、あんまりやる気はなかったんですよね。小学校の時に漫画を描いて、『週刊少年ジャンプ』に送ったことがあったんですよ。『キン肉マン』に憧れて。最初は友達2人で描いてたんですけど、〆切ギリギリで友達はいなくなっちゃって。結局、1人で描き終えて応募したんですけど、集英社からはなんの音沙汰もなかったですね」

友達同士で鉛筆漫画を描いて、それを綴じて漫画雑誌も作っていた。

「みんなで描いて、30ページ以上の本になっていたと思います。それで教室の本棚に置いていたんですよ。そうしたら違うクラスの先生が見つけて廃棄処分しちゃったんですよ!! ひどい話ですよね。さすが昭和です(笑)」

中学の頃までは漫画を描いていた。

当時流行っていた『バリバリ伝説』(講談社)に憧れて、バイクレース漫画を描いた。

「ただ高校に入ると漫画は描かなくなりましたね。代わりに音楽バンドをはじめました。みんなはザ・ブルーハーツとか日本のバンドのコピーをしてましたけど、俺の場合は友達の影響を受けて洋楽のスラッシュメタルやハードロックをやってましたね。いかにギターを速く弾くかっていうのに命をかけて……。絶対モテないタイプの人でした(笑)」

機械や電気については得意だったし、ギターをいじったりすることもできた。

専門学校を卒業して20歳で町工場に就職

それで高校卒業後は日本工学院専門学校のメカトロニクス科に進んだ。

「入学したはいいんですけど蒲田で一人暮らし。毎日パチスロに明け暮れるというダメな日々になってしまいました。

パチスロ以外はバイトしてましたね。製パン会社とか寿司屋の配達とか、とにかく時給が高いのを。スーパーカブで岡持ちを片手に持って環八(東京都道311号環状八号線)を時速60キロで飛ばしてました。今考えたら、めちゃくちゃ危ないですよね」

専門学校を卒業して20歳で町工場に就職した。川崎市の山の上にある半導体製造装置を作る工場だった。

「1台2000万円とかするロボットを図面通り組み立てるのが仕事でした。人が足りないからみんなで寄ってたかって組み立てるんですよ」

とにかくできることはなんでもやる現場だった。組み立てを覚えたら、CAD(コンピューターで設計するツール)で設計したりもした。

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