なぜ今、世界のトップエリートは哲学を学ぶのか 起業家が学び、グーグルが哲学者を雇う理由

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人がなぜ「哲学」を求めるのかについて、古くから語られてきたのは、「驚き(タウマゼイン)」です。プラトンは、「驚き」こそが「知を愛し求める哲学」のはじまりだ、と強調しています。

ちなみに、「哲学(philosophia)」という言葉が、「愛する・求める」+「知識・知恵」からできているのは、周知のことでしょう。そのため、アリストテレスは『形而上学』のなかで、次のように語っています。

驚異することによって人間は、(中略)知恵を愛求し〔哲学し〕始めたのである。ただしその初めには、ごく身近の不思議な事柄に驚異の念をいだき、それからしだいに少しずつ進んで遥かに大きな事象についても疑念をいだくようになったのである。(中略)ところで、このように疑念をいだき驚異を感じる者は自分を無知な者だと考える。(中略)したがって、まさにただその無知から脱却せんがために知恵を愛求したのである。(アリストテレス『形而上学』)

つまり、➀驚き、疑いをいだく⇒②自分を無知だと感じる⇒③知恵を求める(哲学)という流れです。したがって、驚きや疑いがなければ、また自分を無知だと感じなければ、哲学を始めることはありません。

とはいえ、ここで「哲学」と呼ばれているのは、今日イメージされるような狭い意味の「哲学」ではなく、学問全体を指しています。アリストテレスは「万学の祖」と呼ばれているように、論理学も生物学も天文学も政治学も神学も、ありとあらゆる分野を探究し、それらを全体として「哲学」と考えています。

哲学の言葉は日常生活とかかわっている

ここで重要な点は、哲学のはじまりには、「驚き」があることです。逆にいえば、驚きがなければ、哲学を始めることはありません。目の前の自然を見て驚く、人間たちの活動を眺めて驚く、心の働きに直面して驚くわけです。

そこから、「どうして?」「何のために?」という問いが生まれ、探究へと向かうのです。

哲学の起源は理解できるとしても、哲学の活動そのものには、胡散臭さを感じる人がおられるかもしれません。というのも、「哲学」といえば、抽象的で小難しい言葉をもてあそび、衒学趣味の学問のように見えるからです。

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