1つ目のウソは、通貨の最も大きな特徴を隠している。通貨は単なる交換手段ではなく、経済や社会生活にとてつもなく大きな影響を与える。つまり、何よりも権力なのだ。
このことに疑問の余地はないだろう。
では、なぜ経済学者たちは、これほど明白で決定的な特徴を通貨の定義に加えないのだろうか?
通貨とは、ものごとを決定する力を与え、経済や社会全体をあらゆる次元で動かす要素だということが、なぜ教科書には書かれていないのだろうか?
誰がどれだけお金を持っていて、どうやってそれを手に入れたかは、どうでもいいというのだろうか?
誰かがなんらかの方法で通貨をつくりだすことによってどんなことが起こりうるかを、経済学者たちはなぜ検討しないのだろうか?
銀行はなにもないところからお金を作り出している
第2のウソは、銀行を、預金者のお金を投資家や消費者に貸し付けるための単なる金融の仲介者と定義することだ。しかし、これはウソだ。実際には、銀行はそれ以上の存在である。
確かにどの経済学の教科書でも、銀行とは顧客のお金を預かっているだけでなく、貸し付けをする際にお金をつくりだしていることを認めている。ところが、そのことをはっきりとは語らず、あいまいな表現に終始している。
よくある説明はこうだ。
銀行は顧客が預けるお金を受け取り、そのなかから、中央銀行が定める「支払準備率」に相当する額を保有する。預金の残りは貸し付けることができるが、当然のことながら貸し付けを行うときにお金がつくりだされる。そして、預け入れ、保有、貸し付けというプロセスが断続的に行われることにより、最初に預け入れられた金額よりも多額のお金が存在することになる。
しかし、ほとんどの経済学の教科書には、銀行がお金をつくりだす仕組みについて誤った説明がなされている。
銀行が貸し出すお金は顧客の預金から出ているということが、まず間違いだ。顧客が預けたお金が貸し出されているのであれば、預けていた顧客たちはそのお金を使うことができないはずだ。しかし、次のような単純な例を見ただけでも、この理論が破綻しているとわかるだろう。
たとえば、マリアが自分の財産のうち20ユーロをマノロに貸したとする。すると、マリアはもうそのお金を使えなくなる。この場合、この融資によって市場におけるユーロの量が増えたわけではなく、明らかに通貨はつくりだされていない。マリアが自分の20ユーロを使い込んでしまって貸し出せなくなるか、あるいは貸すことで自分はそのお金を使えなくなるかのどちらかしかないのだ。その20ユーロはマリアの財布に入っているか、あるいはマノロの財布に入っている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら