ところが、もしマリアがそのお金を銀行に預けたとすると、彼女は銀行からカードを受け取り、いつでも好きなようにそのお金を使うことができる。また、もしマノロがその銀行から20ユーロあるいは(銀行が一定の準備金を保有しておかなくてはならない場合に)それ以下の融資を受けたとすると、彼もそのお金を好きなように使うことができる。つまり、銀行がお金を貸し付ければ、マリアが使える20ユーロとマノロが借りた20ユーロで、流通するお金の量が増えたことになる。
このことから2つの結論が引き出される。
1つは、銀行がお金をつくりだしたということ。
もう1つは、融資のためにつくりだされたお金はもともと存在しなかったのだから、無からお金がつくりだされたということだ。
もし、従来の経済学者たちがいうように、マノロに貸し出されたお金が、マリアが預けたお金であるなら、マリアはそれを使うことができないはずだ。しかし、そうではない。マノロが借りたお金は新しいお金、つまり、銀行が融資をするたびにつくりだしている預金通貨なのだ。
銀行は顧客の預金を使って投資することもできる
さらに、銀行が単なる金融取引の仲介者ではないといえる第2の理由がある。
もともと銀行は何もないところからお金をつくりだし、それを消費者や投資家に貸し出してきた。しかし、次第に自分たちも顧客のお金で投資を行うようになっていった。それは、より収益性がよいが、より危険なビジネスでもある。金銭欲に溺れた銀行は、どんどんハイリスクな投資に手を出すようになった。
1920年代、投機的なものとなったそのビジネスはバブルを生み、そして1929年、ついにバブルがはじけて株式市場の大暴落を引き起こした。その結果、アメリカで、その後は他の国々でも、銀行は、完全に商業的業務と産業・投資関連業務を明確に分けなければならないと法令で定められた。商業的な業務は、より保守的で安全な融資のみに制限することが義務づけられたのだ。
この措置や、他にも資本の移動をコントロールする措置がとられたおかげで、数十年間、金融危機は1つも起こらなかった。
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