墓じまいの有力な移動先に納骨堂が台頭した事情 斬新な墓、20年前に拒否されなかった自動搬送式
バブル期には都市郊外に広大な墓地が作られ、寿陵(じゅりょう)という生前に建てるお墓がもてはやされた。それから間もなくして日本では1994年に65歳以上が全人口の14%を超える高齢社会に突入し、老後や死後に関する不安感が数十年かけてじわじわと社会全体に広がることになる。
1990年代後半は、その「じわじわ」の初期の頃だ。強まる墓不足への心配は新たな“墓”を生む原動力となった。そして、新たな“墓”は新たな拒否感を生んだ。上の記事に続く新聞の引用では、大阪府堺市のロッカー式納骨堂が販売1年後も区画の3分の1以下しか埋まっていない現状を伝えている。記事は識者からの「お墓というものは土の上に建てるもの」という嗜めで締めくくられていた。
そうした空気のなかで、自動搬送式納骨堂も新奇なサービス、悪く言えばキワモノのように見られていたフシもあった。
2000年に突然好転した背景
しかし、翌年の2000年から販売区画はすこぶる順調に売れるようになった。「あるとき急に好転しました。新聞の折り込みやテレビCMなどを打てば打つだけ売れるようになったのを覚えています」(染谷氏)。
転機はいまだはっきりとはしない。ただ、振り返ると見えてくる部分はある。
とくに注目したいのはポジティブな反応とネガティブな反応の広がり方だ。新しい納骨堂に対する拒否感は2000年以降もあったが、実際に契約した人からのクレームは最初期からほとんどなかったという。
「おそらく最初期は新しいものに抵抗感が少ない人に受け入れられたのだと思います。交通の便がよくて、天候に左右されず、メンテナンスフリーな点などを評価していただいたのだと。伝統とは別のところですね。その評判が口コミなどで少しずつ広がっていったのではと思いますね」(染谷氏)
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