「開脚できる102歳」勇気をもらえる"その人生" 中国地方の有名人「哲代おばあちゃん」の人生訓

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そうそう、良英さんが亡くなる前にこう言うてくれたの。「子どものことは気に病まんでもええ」って。嫁の私一人がしんどいと思うとったけれど、あの人も一緒に背負うてくれとったんかもしれん。あの最期の言葉のおかげで、心を切り替えることができました。しんどい時があったからこそ、肩が軽うなった今の暮らしが喜びに満ちてるんかもしれんなあ。自分で自分を褒めてやらんといけんです。

若い頃のようにちゃっちゃと動けんようになりました。畑に出るにしてもご飯の支度をするにしても、休憩を挟んでちょっとずつエンジンをかけるんです。きのうも昼ご飯を済ませて、さあ畑に出ようと思っていたのに、ようやく腰を上げたのは日が暮れようかという頃じゃったん。へへへ。台所の椅子に座ったまま何をするでもないんじゃけどなあ。自分のテンポってものがあるんです。

気の向くままでございます。

102歳、一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方
『102歳、一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方』(文藝春秋)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

近所の人たちとおしゃべりしたり、仲よしクラブでわいわいやったりするのが好きなんですが、一人で過ごすのも必要な時間です。本を見たり新聞を読んだりしてね、あとは大方、ぼーっとしとるんですけどね。エンジンかけるための充電とでも言いましょうか。その時間がね、なけにゃいけんの。それが自分のテンポで動く力になっとります。

何ごとも、いいように受けとると気持ちが高揚しますね。102歳になると今まで通りにはできんことも増えてきました。でもできたことを喜ぶ。出来栄えは不細工でも「これで上等、上等」ってなもんです。

近所の人がよく顔を見せに来てくれる。健康で笑っておしゃべりして、畑にも行ける。特別なことのない毎日でも、まめで暮らさせてもらえる一日一日が自分にとっては上等です。

子どもたちが学校から帰る姿を見ると必ず「おかえり」と声を掛けるん。きょうも学校に行って一日勉強したんじゃなと思うとかわいくて。何げない風景に妙に見入ってしまう。

こうやって年を重ねると、残りどれだけ生きられるかなあって何となく思うんです。命には限りがありますもんね。だからなのかなあ。一つ一つが上等でいとおしい時間です。

哲代おばあちゃん
2023年の抱負を書き初めする哲代さん。今年の目標は…(写真:書籍『102歳、一人暮らし。』より)

103歳、さあ、どう生きる?

さあ、2023年です。私も春には103歳。今年も絶好調でございます。

今年をどんなふうに生きたいかって? 高望みはいたしません。「無事」が一番です。何の変哲もない、平凡な毎日の中に喜びを見つけていきたいです。

残りの時間を考えると、この一瞬一瞬がとてもいとおしいの。じゃからね、もうちいと一人暮らしを頑張ります。最後に、「ああ、生きた。ええ人生じゃった」と思えるように。

どうか、皆さんも無事に過ごしてください。戦争のない平和な世界になりますように。どの国の子どもも安心して暮らせますように。おばあさんの心からの願いです。

石井 哲代 元教員

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いしい てつよ / Tetsuyo Ishii

1920年、広島県の府中市上下町生まれ。20歳で小学校教員になり、56歳で退職してからは畑仕事に勤しむ。近所の人からは、いまも「先生」と呼ばれている。26歳で同じく教員の良英さんと結婚。子どもはおらず、2003年に夫が亡くなってからは親戚や近所の人に支えられながら一人暮らしをしている。100歳を超えても元気な姿が「中国新聞」やテレビなどで紹介されて話題に。

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