幸之助は、「人は30代に伸びる」と考えた 「30代はいちばん充実した時期だった」

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だから、坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作なども、松下の雑談の中でよく出てきた。

今の日本を嘆じ、

「なんとかせんといかん。けど、大きな変革は、若い者しかできんな。名誉やカネや地位のある者は、失うことを恐れて、挑戦しよう、今の状態を変えて、新しい日本を創ろうということは、ようせんね。」

と言いつつ、明治維新の志士の話も、その頃、よくしてくれた。

「きみ、明治維新を成し遂げたのは、皆、若者や。ほとんど20代、30代の人たちばかりやな。今も、若い人たちが、もっと政治に関心を持って、新しい日本をつくろうと。そうせんと50年も日本はもたんな」

人生において30代が勝負

幕末から維新にかけて活躍した人たちの年齢を見てみると、アメリカのペリー提督が浦賀に来航した嘉永6年(1853)を基準にすると、西郷隆盛は24歳、吉田松陰は23歳、大久保利通も23歳、福沢諭吉は19歳、坂本龍馬は18歳、高杉晋作は14歳である。

当時の平均年齢は50歳前後だったというから、今日の80歳に換算すると、西郷隆盛は38歳、吉田松陰は37歳、大久保利通も37歳、福沢諭吉は30歳、坂本龍馬は29歳、高杉晋作は22歳となる。松下の言うことは、今日的に換算しても当てはまる。まさに、「人生において30代が勝負」ということになる。

振り返って、確かに私もいま、そう実感している。20代はローで走り出し、30代で、セカンドからトップギアに切り替えて走ってきた。いわば、インプットの時代であった。しかし、40代になると、インプットとアウトプットがフィフティ・フィフティになる。50代以降は、アウトプットが多くなるから、30代までにいかに勉強し、知識、知恵を蓄え、ギリギリまで行動するかが、その後の自分の人生を決めることになったように思う。

昭和53年2月。松下幸之助の気分は、機嫌よく、笑顔だけでなく、時折、声を出して笑ったりしていた。このときも、30代について話している。

「ところで、きみ、38歳か。いちばんええときやな。忙しいかもしれんが、いろんな苦労をせんといかんね。ただ何がなしに育つというんでは、本当に厳しいときに、よう生きていけんよ。昔から、若い時の苦労は、買ってでもせよ、と言われておるけど、ほんまや。若いときに苦労しとかんと、人間としての実力もできんし、人間的にも魅力がでんわ。それに、苦労して、苦労して、それを乗り越えて来た者は、どんなことがあってもくじけんし、たいてい成功するな。苦労というと、困ったな、かなわんなと思うわな。

けど、そういうことを考えると、苦労を喜んで迎える、困難を喜んで受け入れる。近頃は、血のにじむような苦労をするということを、あまりせんわな。けどほんとうは、この血のにじむような苦労をせんと。そういういちばん苦労せんといかんという、その時期は、やはり、30代やな。いちばん伸びるときは30代や」

松下は、

「そうや、きみ、いちばん、頑張るときやで」

笑顔で、付け加えた。

江口 克彦 一般財団法人東アジア情勢研究会理事長、台北駐日経済文化代表処顧問

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えぐち かつひこ / Katsuhiko Eguchi

1940年名古屋市生まれ。愛知県立瑞陵高校、慶應義塾大学法学部政治学科卒。政治学士、経済博士(中央大学)。参議院議員、PHP総合研究所社長、松下電器産業株式会社理事、内閣官房道州制ビジョン懇談会座長など歴任。著書多数。故・松下幸之助氏の直弟子とも側近とも言われている。23年間、ほとんど毎日、毎晩、松下氏と語り合い、直接、指導を受けた松下幸之助思想の伝承者であり、継承者。松下氏の言葉を伝えるだけでなく、その心を伝える講演、著作は定評がある。現在も講演に執筆に精力的に活動。

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