アメリカ人は、とくにビジネススクールを出た人は、経営にしても何にしても、すべては技術だというふうに考える傾向がある。しかし、やはり尊敬されている人は、人間の生き方、国家のあり方についての考え方を持っている。世界はどういう主権国家の合同体なのか、それがどうこれから動くかという世界観、歴史観、地政学観、文化観を持っています。こうしたものがグローバルリーダーの要件だと思います。
見識があってこそ、沈黙が説得力を増す
では日本のリーダーといわれる人たちはどうか。アメリカ人の前に行くと、伏し目がちになる。中国人の前に行くと、「先生、先生」とお互いに言い合っていい気持ちになる。そういうタイプの人が多いんです。
そうではなく、自分に何か持っているものがあれば、それを堂々とぶつけることによって、対等互角に話し合いができ、常日頃のお付き合いができるような人間を作ることが重要で、その中からグローバルリーダーが生まれると思っています。
大学も重要です。東大で行われたパネル(ディスカッション)でも話をしたのですが、世界の人たちから見て、「あの人の講義をぜひ聞きたい」「彼の持っている知識、見識を学びたい」と思うような先生が東大にいれば、学生は世界中から集まってくる。それを、秋入学にしたからグローバル化したというのはおかしい。薄皮一枚の改革で、グローバル化したような気持ちにならないでもらいたいという話をしました。要は先生方が人を引きつける能力を持っているかどうか、ということです。
もうひとつ、グローバルリーダーは積極的に発言をしなければ、というのはおかしい。日本人はしゃべらなさ過ぎると言われます。それに対しインド人はしゃべり過ぎる。日本人をしゃべらせ、インド人をしゃべらないようにすることが会議では大切なことなんだ、とも言われるくらいで、「日本人よ、もっとしゃべれ」という声があります。でも、いい加減なことをしゃべるぐらいなら黙っているほうがいい。これは、我々が小さいときから教えられたことですよ。中身が問題です。
山折:まったく同感ですね。私は、やっぱり沈黙の説得力っていうのがあると思うのです。沈黙には、追い詰められて言葉を失った沈黙もあれば、深い沈黙もあります。美しい沈黙もある。
葛西:本当にそのとおりです。
山折:それは見識があって、人間力があって、初めて可能なことです。言葉さえ出せばなんとかなるという考え方は、戦後の日本の教育界に広がり過ぎている傾向かもしれませんね。
葛西:戦後というよりも、特に最近になってその傾向が強くなっていますね。
山折:リーダーについての考え方が、欧米と日本とでは大きく異なっているようにも思うのです。そのズレを示す1つに奉仕の精神への考え方があるように思います。リーダーは人一倍、他者のために奉仕をしなければならない。その考え方は、たとえばロータリークラブのようなものが欧米社会に根付いていることからもわかります。社会に奉仕をする。問題はその奉仕の仕方です。
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