センバツ出場校「もやもや選考基準」が続く不可解 選考ガイドラインは導入されてもいまだ不透明

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高校野球の現場からはかねて、「秋季大会の結果を最重要視する、とはっきり決めてくれたほうがよい」という声が上がっていたが、最近は「春の甲子園は必要なのか?」という声も聞かれるようになった。

夏の甲子園が終わると、すぐに新チームによる秋の大会が始まる。これに負ければ春の甲子園には出場できないから、選手の見極めをする時間はほとんどない。このために、なったばかりの新チームのエースが秋季大会で無理をして、故障するケースも見られる。

「春の甲子園」を続ける意味は?

「本当は、秋から冬にかけては、選手にじっくりトレーニングをさせて、来年に備えさせるほうがいい。秋季大会はあってもいいけど“絶対に負けられない戦い”ではなくて、新チームの“力試し”みたいなほうがいいんだけどね」という指導者もいる。

また、夏の甲子園の予選である地方大会が、過酷なスケジュールであることを問題視して、「春の甲子園をやめて、4月頃から夏の甲子園の予選を、毎週土日限定でやればいいんだ。1週間開ければ投手の酷使もなくなるし、選手も余裕をもって試合に臨むことができる」と言う関係者もいる。

このほか「春の大会はリーグ戦でやってはどうか」とか、「公立高校だけの大会にしてはどうか?」など、さまざまな意見も出ている。

スポーツイベントとしてみれば、全国的な人気がある甲子園の高校野球を年に2回行うことは、興行面で大きなメリットがある。またメディアにとっても大きなコンテンツだ。

しかしそれらは「大人の事情」だ。ここまで無理をして「夏とは違う春の甲子園」を続ける必要があるのか?「春の甲子園」に確固とした存在意義を求めるならば、今の時勢に対応した形で、新たなスタイルの模索が必要だ。

広尾 晃 ライター

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ひろお こう / Kou Hiroo

1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイースト・プレス)、『もし、あの野球選手がこうなっていたら~データで読み解くプロ野球「たられば」ワールド~』(オークラ出版)など。

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