「紫式部」超秀才なのに能力を隠し続けた切ない訳 漢字の「一」すら書かない女としてふるまう

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一条天皇は当時、前の妻を亡くしたばかり。前の妻とは、藤原定子……あの清少納言が女房として仕えていた后だ。中宮定子は教養もあり、よく清少納言と丁々発止のやり取りをしていたらしい。明るく賢い定子は、一条天皇より少し年上のお姉さん。一条天皇は彼女に惚れ込んでいたらしい。

しかし定子の家はさまざまな不幸とスキャンダルに襲われ、子供を産んだのちに亡くなった。定子が亡くなる前、一条天皇は新しい妻を迎える。それが紫式部の仕えていた、藤原彰子(以下、中宮彰子)なのだ。

中宮彰子は、ずいぶん若かった。なんと一条天皇の妻になった当初12歳。当然、定子ほどの教養はない。歴史物語『栄花物語』には、一条天皇が彼女の幼さに戸惑う場面も描かれている(ちなみに一条天皇は当時21歳)。そんな彰子をどうにか定子に負けない后にしたいと考えた彼女の父は、教養ある女房をつけようと考える。それこそ、清少納言のような女房を。

そこで白羽の矢が立ったのが、紫式部だった。彼女を呼んだのは、当時流行していた『源氏物語』の存在を知った、藤原道長。彼こそが彰子の父親である。

主人に漢文を教える機会がやってきた!

紫式部は、藤原道長の命により、中宮彰子に仕え始めた。道長の思惑とは裏腹に、彼女は教養をひけらかす自分が本当に嫌だったらしい。

『源氏物語』みたいな教養をつねにしのばせる文学まで書いておいて!?とツッコミを入れたくなるが、きっと現実で「教養出しちゃ嫌われる」と抑圧しているからこそ、物語の世界ではその抑圧を解放したくなったのではないだろうか。

一方で中宮彰子は、おそらく自分に教養がないことを気にしていたのだろう。彼女の耳には、夫の前の妻――教養深い藤原定子――の評判だって、たくさん聞こえてきていたはずだ。

中宮彰子は紫式部に漢詩を教えてもらおうとする。

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