江戸時代の「鎖国」が導いた日本の高度経済成長 「管理貿易」で必要な資金や労働者を国内で調達

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日本の銀輸出量が減少し、海外からの輸入が難しくなると、日本は、中国から輸入されていた綿、砂糖、生糸、茶、さらに朝鮮から輸入されていた朝鮮人参を国内で生産せざるをえなくなり、すなわち、輸入代替産業が発展したのである。

江戸時代の日本の生活水準上昇

日本の気候はこれらの商品の栽培には適していなかったが、徐々に綿、砂糖、生糸、茶、朝鮮人参の国産化に成功していった。朝鮮人参の国産化により、朝鮮との貿易は大きく減少することになる。

日本は、ヨーロッパと比較するなら、生体的に豊かであった。日本がまがりなりにも鎖国をすることができたのは、そのためである。日本と帝国主義政策をとったヨーロッパとは異なり、鎖国をし、輸入代替産業を発展させたのだ。

そのため、日本社会は豊かになっていった。日本人は、より多くの消費財を購入するために一生懸命に働くようになった。

明治になると、綿と生糸は、日本の主要な輸出品になった。江戸時代、銀産出量減少に伴い、やむなく国産化に取り組んだことで、結果的に日本は重要な輸出品を獲得することができたのである。

しかしまだこの時点では、日本の経済成長は手工業で生産される消費財に基盤をおいたものであり、ヨーロッパのように蒸気を用いた機械によって消費財を大量に生産することはなかった。

19世紀末以降産業革命に成功した日本は、繊維産業を中心に経済を成長させていった。しかし欧米諸国、とくにアメリカと比較したなら、消費水準は依然として低かった。

具体的に言うなら、20世紀初頭にヘンリー・フォードによってアメリカで自動車の大量生産がはじまり、耐久消費財を基軸とする経済成長がはじまったのに対し、日本では、自動車はまだまだ一般の人々の手の届かない商品であった。

日本において、消費水準の高まりは戦後、とくに1950年代末から1970年代初頭にかけての、高度経済成長期のことであった。

日本の1945年8月の生産指数は、1935-37年を100とすると。8.7にすぎなかった。第二次世界大戦で、日本がいかに大きな被害を受けたのかがここからわかる。さらに、1934-36年の消費者物価指数を100とした場合、1949年第2四半期の物価指数は247.8となり、インフレも激しかった。

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