江戸時代の「鎖国」が導いた日本の高度経済成長 「管理貿易」で必要な資金や労働者を国内で調達

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コロンブスがアメリカを「発見」し、ヴァスコ・ダ・ガマがインドに到着した15世紀末において、ヨーロッパがアジアから輸入していた最大の商品は香辛料であった。しかし、ヨーロッパにおける香辛料の需要はなぜか大きく低下し、それに代わって輸入されるようになったのは茶であった。

ヨーロッパに流入したアジアと新世界の商品

18世紀には、インドから綿織物(インドキャラコ)の輸入が増え、ヨーロッパ各地でその需要は大きく拡大した。

ヨーロッパは、当初は奢侈品として新世界からは砂糖とコーヒーを輸入した。このどちらもアジアが原産であったが、ヨーロッパ諸国は新世界でこれらの商品を生産し、それをヨーロッパに輸入するシステムの構築に成功したのだ。

ヨーロッパは高緯度に位置し、その植生は貧しい。熱帯ないし亜熱帯地方での栽培に適した砂糖、コーヒー、紅茶は、当然ヨーロッパ内部で生産されるはずもなく、植民地から輸入された。ヨーロッパが帝国主義政策をとった理由の一端は、ここに見いだされる。

ヨーロッパ人は、このような舶来品を購入するために一生懸命に働いた。彼らは、海外から輸入される商品(舶来品)を購入し、生活水準を上昇させるために働いたのである。当初上流階級だけしか消費できなかったものが、だんだんと一般の人々の手に入るものになった。それは、ヨーロッパ全体の生活水準の上昇と、経済成長を意味した。

江戸時代の日本は、鎖国をしていた。「鎖国」というと完全に海外と断交したように思われるかもしれないが、実際には、当時の日本は完全に国を閉ざしたわけではなかった。日本は、当時のアジアでよく見られたような「海禁政策」、つまり民間の自由な貿易を禁じ、国家が貿易を管理する体制をとったのである。

日本は、長崎、対馬、薩摩、松前の「四つの口」を通じて海外とつながっており、幕府の管理下で貿易が行われていた。

17世紀の初め頃の日本は、中国から綿、砂糖、生糸、茶などを輸入しており、貿易収支は赤字であった。それを補填するため、日本は銀を輸出していた。17世紀前半の日本の銀産出高は、世界の三分の一を占めていたともいわれており、日本に大量の銀があるうちは問題なかったが、あまりに大量の銀が流出し、また国内の金山や銀山の産出量が大きく減少したため、国内で使用する銀が不足してしまった。そのため幕府は、金や銀の海外流出を完全にストップさせた。そのために日本経済は大転換を余儀なくされたのである。

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