半世紀「猪木」を撮影したカメラマンが目撃した物 新日本プロレス旗揚げ直後に薄暗い体育館で激写

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この日は、『ニュー・ゴールデン・シリーズ』の開幕戦。外国人側のトップは、レッド・ピンパネールだった。赤覆面の正体はアベ・ヤコブだから普通のレスラーにしか感じなかったが、新日本としては大物扱いをしていた。しかし、本当の大物なら覆面をかぶる必要はない。

この日も勝手にリングサイドに入って写真を撮っていると、まだ新人だった栗栖正伸が「気を付けて撮ってよ」と声をかけてくれた。

金曜夜8時の新日本プロレス中継がスタート

メインでは猪木が柴田勝久と組んで、レッド・ピンパネール&プリンス・クマリと対戦した。新日本の外国人レスラー招聘ルートはまだ閉ざされていて、この日は他にシン・リーガン、ウェイン・ブリッジ、パット・ローチなども出ていたが、贔屓目に見ても地味なメンバーだったと言うしかない。

この翌月、馬場が全日本プロレスを旗揚げする。新日本とは対照的にWWWF世界王者ブルーノ・サンマルチノ、フレッド・ブラッシー、テリー・ファンクら豪華なメンバーをアメリカから招聘し、最初からテレビ中継もされるという華々しい船出だった。

この時期、NET(現・テレビ朝日)の日本プロレス中継と日本テレビの全日本プロレス中継は毎回見ていたが、TBSの国際プロレス中継は見ない週もあった。言うまでもなく、この中でテレビ的に一番面白かったのは全日本だ。なにしろ画面に出てくるメンバーが段違いだった。

しかし、坂口征二が日本プロレスを離脱し、1973年4月から新日本プロレスに合流したことでマット界の潮流は大きく変わる。これを機にNETは金曜夜8時の『ワールドプロレスリング』で新日本の試合を放映するようになり、日プロは一気に崩壊へと追い込まれた。

坂口の合流は、新日本にとってリング上とビジネスの両方で効果的だった。2人の関係は「発想の猪木」、「抑え役の坂口」という見方ができる。エンジンとブレーキの関係と書けば、わかりやすいか。新日本プロレスという会社の中で、ある程度「猪木にノーが言える人間」が坂口だったとも言える。その印象は、後に本人たちと会話を交わすようになってからも変わらない。

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