半世紀「猪木」を撮影したカメラマンが目撃した物 新日本プロレス旗揚げ直後に薄暗い体育館で激写

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猪木は、「坂口的」という言い方をする。そこには「無難で面白みがない」という意味を含んでいると思うが、決して坂口自体を否定しているわけではない。片や坂口が猪木の無謀ぶりを嘆くこともたまにはあったが、常に猪木がしようとすることに好意的かつ協力的だった。

電信柱に張ってあった猪木vs小林戦のポスター

1973年10月14日、蔵前国技館で猪木&坂口vsルー・テーズ&カール・ゴッチの世界最強タッグ戦が開催された。12月10日には、猪木がジョニー・パワーズからNWF世界ヘビー級王座を奪取した。

そして、1974年3月19日の猪木とストロング小林の一騎打ちは〝世間〟に向けて大きなインパクトを残した。

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力道山vs木村政彦以来の大物日本人対決。直前まで国際プロレスのエースだった小林と新日本プロレスのエースである猪木の激突が話題にならないはずがなかった。

猪木はジャーマン・スープレックスで小林を豪快に投げてフォールした。技としては綺麗ではなかったが、流血していた猪木の頭が最初にリングに着地して、時間差があって小林の体が上から落ちてきた。この強引とも言えるリアリティが「猪木プロレス」だった。

この翌月、私は上京し、練馬のアパートの小さな部屋を借りて、高田馬場の予備校に通い始めた。肩書きは、「浪人生」である。せっかく東京にいるのだが、そんな身分だけにプロレス会場へ行っている場合ではない。

同年10月10日の大木金太郎戦も生で見たかったが、やはり会場へは行かなかった。日本プロレスの若手時代から続く2人の関係は、もちろん知っていた。しかし、それ以上に私の頭の中にあったのは大木がアメリカ武者修行中にヒューストンでNWA世界王者ルー・テーズに挑戦した際、セメントを仕掛けて返り討ちに遭った一件だった。

そんな危険な香りのする大木と、猪木はどう対峙するのか。もしかしたら、一線を越えた〝喧嘩マッチ〟になるかもしれない。そんな思いを抱きながら、机に向かって受験勉強に励んだ。

それから約2カ月後、12月12日には猪木と小林の再戦が組まれた。試合当日、私は会場となった蔵前国技館の前まで出向いた。

窓口では、まだ当日券が残っていた。しかし、私はそれを買い求めることなく、電信柱に張ってあった猪木vs小林戦のポスターと手書きの立て看板を写真に収め、後ろ髪を引かれる思いで帰途についた。

原悦生 写真家

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はら えっせい / Essei Hara

1955年、茨城県つくば市生まれ。早稲田大学卒。スポーツニッポンの写真記者を経て、1986年からフリーランスとして活動。16歳の時に初めてアントニオ猪木を撮影し、それから約50年、プロレスを撮り続けている。猪木と共にソ連、中国、キューバ、イラク、北朝鮮なども訪れた。サッカーではUEFAチャンピオンズリーグに通い続け、ワールドカップは1986年のメキシコ大会から9回連続で取材している。著書に『猪木の夢』、『Battle of 21st』、『アントニオ猪木引退公式写真集 INOKI』、『1月4日』、サッカーの著書に『Stars』『詩集 フットボール・メモリーズ』、『2002ワールドカップ写真集 Thank You』などがある。AIPS国際スポーツ記者協会会員。

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