確かに、ロシアとイランの体制は、あと何年かは持ちこたえられるかもしれない。それでも9月の出来事で、いずれは体制が崩壊するという未来図が顔をのぞかせた。プーチン氏はウクライナに勝利するどころか、引き分けることすら難しい。イランの宗教指導者は国民の多くから公然と軽蔑される存在となっている。要するに両体制の崩壊は必至で、時間の問題と見なすべき状況になっているのだ。
カオスと化す核保有国
問題は現体制に代わる現実的な選択肢が見えていないことであり、そこに地政学的な危険がある。何しろ、両国は普通の国ではない。ロシアは核武装した大国だし、中東・中央アジア情勢を大きく左右するイランも核保有が目前だ。
たとえ民主制が独裁に代わることになったとしても、本当の意味で民主主義の伝統を持たなかった国が一夜にして民主国家に生まれ変わることはない。混乱が何年も続くのが普通だ。ソ連崩壊に続く1990年代のロシアでは犯罪が蔓延。経済は大混乱となり、誤った改革で国民のおよそ7割が貧困線以下の生活を強いられた。民主主義が機能しない無政府状態の渦から最終的に国家トップへと浮かび上がったのがプーチン氏だった。
国王による独裁を聖職者による独裁に置き換えただけの79年のイラン革命が、ソ連崩壊よりはるかに痛みの少ないプロセスとなったのは皮肉だ。だが宗教指導者による社会の破壊は深刻で、現体制が崩壊した後のイランは統治不能となるか、民族・地政学的な断層に沿って分裂する可能性すらある。
したがって、ロシアとイランの体制が崩壊し、民主主義の勝利がもてはやされる展開になったとしても、それは瞬く間に、両国の恐るべき政治的空白という厳しい認識に道を譲ることになろう。ロシアでは極右の民族主義者、イランでは革命防衛隊といった、一段と過激な勢力が舞台袖に控えている。専制が破壊的なものであればあるほど、それに続く無政府状態も深刻なものとなるのが一般的だ。
独裁終結で訪れるカオスの中では、秩序の模索が他の課題を圧倒する。よって、知識人や政策担当者の間では、独裁への懸念は無政府状態への懸念に取って代わられることになるはずだ。プーチン氏とイランの宗教指導者が残すことになる、完全に壊れた国と社会を安定させるのがいかに困難か。独裁が倒れても、民主主義を機能させるのはさらにきつい仕事となる。
(C)Project Syndicate
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