「ミシンのブラザー」知られざる5段階変身の全貌 基盤技術を横展開、不振事業・失敗例も諦めない

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「ずばぬけた技術よりも一定の技術力を組み合わせた商品開発が得意」で、1980年代以降、日本語ワープロ「ピコワード」、電子レンジ「グルメット」、カラーコピー機「ルネッサ」や前述の「TAKERU」などを開発した。

1989年に社長に就任した安井義博氏(現名誉相談役)が主導した「21世紀委員会」によって、家電などの不採算事業から撤退し、情報通信機器に経営資源を集中させた。

さらに1990年代、昭和時代の商流だった家庭用ミシンの訪問販売手法が通用しなくなり、国内の販売会社でのリストラを断行。家族主義が社風の会社が大幅な雇用削減を行った。

2008年のリーマンショックから立ち直って以降は、「成長への再挑戦」を掲げ、不採算事業を整理。従業員の雇用は配置転換中心で対応した。

日本国内で販売されているブラザー工業の「インクジェットプリンター」と「カラーレーザー複合機」
国内で販売されている「インクジェットプリンター」(左)と「カラーレーザー複合機」(写真:ブラザー工業)

真面目な社員にハッパをかける経営陣

こうして紹介すると、ブラザーという会社は常に変化を求められ、事業意欲の高い人材も多いと思うかもしれない。だが、そんなことはない。

「ウチの社員は真面目ですが、最近は『自分がやってやる』という人が少なくなりました。社内では通常の人材育成に加えて、若手・中堅を対象に『テリー'sチャレンジ塾』と称した勉強会で、私が経験したことを伝えながら、ハッパをかけています。」

(※テリーは小池氏のアメリカ駐在時代の愛称。現在も社員は「テリーさん」と呼ぶ)

小池氏は「若い頃から大口を叩き、言いたいことを言う」タイプだった。新卒で入社後に、当時の人事部長から「ぼくが面接していたら、キミなんか採用しなかったのに」と言われた。入社3年目で、海外駐在に自ら手を挙げてアメリカに渡る。

だが当時、英語は苦手で、特に渡米後3カ月間はコミュニケーションに苦労した。それでも完成したてのプリンターは売れた。「市場にマッチしていただけで自分の実力ではなかったが、若造なのに頑張っていると思われたようだ」。結局23年半もアメリカに駐在し、44歳でアメリカの販売子会社社長になる。51歳でブラザー工業本社の社長に就いた。

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