大泉洋退場から3カ月「鎌倉殿」一層盛り上がる訳 不安を乗り越え、三谷幸喜マジックが冴え渡る
最後にもう1つ重要な“三谷マジック”をあげておきましょう。それは主人公・義時が1年をかけてジワジワと変化していくライブ感。800年以上前のトップに君臨した人物であり、史実をベースに書いているのにもかかわらず、三谷さんの描く義時からは、どこか現代人に通じる人間くささが漂っています。
たとえば、序盤は「出世などまったく頭の中になく、戦や人を殺めることすら考えたことがない」という控えめな人柄ではじまり、坂東武者たちの間で揉まれることで徐々に視野を広げ、頼朝の影響を受けながら、悲劇の連鎖を目の当たりにしたことで、ついには腹をくくって怖さを身につけていきました。
北条義時は最後まで「勝者」なのか
史実にとらわれすぎて人物描写があとまわしになると、このような変化を見せることは難しくなりますが、三谷さんにその不安はありません。
三谷さんは「武士の頂点に立つ」という史実のゴールから逆算して、そこに至る道のりを描いていくのではなく、「それぞれの出来事が訪れたとき義時は何を思い、どんな言動をするのか」という現代劇と同じようなアプローチで脚本を書いているそうです。大河ドラマは1年間の長丁場だけに、三谷さんがその時間的な強みを生かして主人公のライブ感を生み出している様子がわかるのではないでしょうか。
だからこそ視聴者は数カ月かけてジワジワと変わっていく義時の生々しい姿を実感でき、「時代は違えども同じ人間」という感覚を得られるのです。義時がどんなに怖さを見せても視聴者は、「なぜこうなってしまったのか」「なぜそんなことをするのか」がうっすらわかるから嫌悪することなく、最後までその活躍を見守ろうとするでしょう。
義時が2代執権になり、頂点に立ったら、いよいよ後鳥羽上皇(尾上松也)との最終決戦・承久の乱がおぼろげに見えてきます。はたして義時は本当に最後まで勝者として描かれるのか。得たものと失ったものを実感し、どんな様子で死んでいくのか。
三谷幸喜さんの技術に疑いの余地がないうえに、大河ドラマへの深い愛情に基づくすさまじい熱量で当作の執筆に挑んでいると聞きました。これもまた最後の最後まで“三谷マジック”に期待していい理由の1つでしょう。
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