「威厳を持ち、多少の反対も恐れずに、独断専行で実行する人こそが、強いリーダー」。こうした「父権的カリスマ」リーダーが、日本においてはもてはやされる傾向がありました。
「強権型」「トップダウン型」のリーダーであれば、下の人たちは、ただ、その意向に従えばいいだけ、自ら考え、行動しなくてもいいのですから、ある意味、ラクなものです。
「鬼教官」「軍曹」のようなリーダーに、それに疑いもせず従う役員や社員という「共存関係」が築かれやすい企業文化が存在しているわけです。
「日本人の我慢強さ」が問題を見えにくくする
日本のように長幼の序を重んじる国では、「目上の者は、目下の者に指令し、下の人は上の人に敬語を使い、従う」という「上下関係」でコミュニケーションが規定されてしまいます。
こうした身分の固定化によって、年齢や序列が上の人が、ぞんざいで横柄な言葉遣いになりやすいという弊害が生まれやすくなります。
日本人のギネス級の「我慢強さ」が、パワハラ問題を見えにくくしている部分はあるでしょう。
実際、私にも新聞記者時代、壮絶なパワハラ上司がいました。1時間おきに電話をしてきたり、ポケベルを鳴らされて行動をチェックされたり、ネチネチと嫌味を言われ、説教をされました。
職場の隣の席には、延々と、堂々と、ポルノ動画を見続ける上司もいました。
しかし、「事を荒立てないほうがいいだろう、私さえ我慢すれば」と口をつぐんでいました。「告げ口をして仕返しをされたくもない、ちょっとの忍耐で済むなら」とあきらめていたのです。
そういった我慢強さが「パワハラ野郎」をのさばらせる結果につながってしまった部分もあるでしょう。
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