だが、大久保が後処理を行った台湾出兵においては、大きな反省点もあった。それは、3500人あまりの兵や軍需物資の輸送に難儀したことである。
輸送船の備えがない明治政府は、イギリスやアメリカの船会社を使い、兵員を台湾へと送る予定だった。しかし、いざ出兵となると、イギリスもアメリカも協力を拒否。日本だけに肩入れするわけにはいかないと、中立の立場をとった。
完全にあてが外れてしまった明治政府は、頭を抱えたことだろう。大型船は購入するとしても、輸送をどこか国内の会社に請け負ってもらわなければならない。
そこで、まずは国有会社の日本国郵便蒸気船会社に運航を委託しようとしたが、どうも態度が煮え切らない。なにしろ、軍事輸送にかかわるよりも、沿岸航路の事業を優先させるほうが、会社の利益は上がる。そんな経営判断に加えて、同社の設立には長州閥の井上馨がかかわっていた。薩摩閥との対立もあってか、台湾出兵には非協力的だった。
明治政府への協力をすぐに買って出た岩崎弥太郎
そんななか台頭したのが、岩崎弥太郎が率いる三菱だ。大久保は大隈重信とともに、弥太郎と交渉。深刻な事情を説明したうえで、全面協力を要請している。
そうはいっても、沿岸航路に力を入れて利益を拡大させたいのは、三菱も同じだ。難しい判断だったはずだが、弥太郎は賭けに出た。会社の方針を大きく変えてまで、明治政府への協力を、その場ですぐに買って出たのである。
さっそく明治政府は、三菱から計10隻の外国船を購入。さらに3隻を追加で購入し、運行も三菱に委託することになった。なんとか弥太郎のバックアップを得て、兵員のほか、武器、食糧などを台湾に輸送することが可能になった。
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