不妊治療に明け暮れる私を救った「奇跡の代理母」 「Believe It」著者が涙の告白「彼女は心の相棒」

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胸を締め付けられるような、こんな質問がぶつけられた。移植した胚が2つや3つに分割し、医者が減胎するべきだと決断したらどうしますか(1つの胚を生かす可能性に賭けて、ほかの胚をあきらめるということだ)?

それから、こんな質問もあった。代理母が妊娠し、それが母体の生死を左右するリスクを伴うとき、妊娠を中断してもいいですか?

言葉で表明することへの恐さ

ここが非常に難しいポイントだ。あなたは、モラルという点で、代理母と一致することを願わなければならない。なぜなら、自分の子どもでないにもかかわらず、代理母は妊娠を中断することに強く反対するかもしれないからだ。

結果として、彼女の命を脅かす妊娠を中断するよりも、彼女の命を失うリスクを取ることが選ばれる場合もあるのだ。

この質問は正解、不正解を問うものではない。あなたが正しいと思うこと、そしてこの難題にあなたがどんな立場を取るのかを、確実に表明できるようにするための手段であり、そのうえで、同じ信念を分かち合う代理母と確実に手を組むためのものだ。

だからこそ、絶対に起きてほしくないと願い、祈りをささげるようなあらゆる状況を想定して、モラルのうえで一致するのかどうか、前もって話し合わなければならないのだ。

このような状況下で、実際にどう行動するのか考えて、決めなくてはならないことはもとより、自分はこうすると言葉で表明することに、圧倒されそうになっていた。こうした段階を経ることがなぜそれほど重要なのか、痛いほどわかっていた。

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