――徹也さんは1998年に名門・奈良県立郡山高校を卒業していますが、大学には進学していませんでした。
頭脳は明晰だし勉強する意欲もあった。ところが家庭の経済状況から大学進学は断念せざるをえなかった。消防士になるための公務員試験向け予備校に通いたいというので、私が費用の75万円を工面した。
それで何度か受験したのだが、筆記試験は通っても、最後は合格できなかった。徹也は強度の近眼でね。それがネックになったようだ。これが2001年頃のこと。
不憫に思ったうちのおふくろが徹也を家に呼んで、しばらくおふくろのところで生活していた。勉強したり、仕事探しでもやれということで。当時、家内の手帳には「パソコン 10万円」と記してある。おふくろがパソコンでも買うてやれと言うんで出してやったんでしょう。
うちの息子がたまたま徹也のパソコンをのぞいたら、英検の問題集が映っていたらしい。英語を勉強しようと思うてたんかな。
死亡保険金を兄妹に渡して助けてやりたい
――翌2002年には海上自衛隊に入隊しています。
広島の親戚に海自の関係者がおってな。徹也も佐世保教育隊を経て、呉の海上自衛隊基地の実習部隊に配属されることになった。
ところが2005年の2月、海自から私のところへ連絡があった。徹也が自殺未遂をしたと。母親と連絡が取れないから連絡先を教えてほしいという問い合わせだった。
私は、その前の年からFAXでやりとりをしていた奈良の統一教会・元教会長に連絡を入れ、A子の居場所を尋ねた。すると「韓国で40日修練をやっている」と。「戻り次第、病院に行かせます」ということだった。
海自が作成した事情聴取の報告書によると、徹也は「統一教会によって人生をめちゃくちゃにされた。兄・妹の生活が困窮しているので、私の死亡保険金を渡して助けてやりたい」と語っていた。その報告書も検察に渡してある。
結局、A子は40日修練が終わるまで帰ってこなかった。
――息子が自殺未遂をしたという報に接したら、急いで帰りませんか。
だから常識で考えたらダメなんだ。そんなこと考える人間じゃなくなっているんだから。
――徹也さんとしては、母親に来てほしかったのでは。
逆だろう。徹也はA子にだけは会いたくなかったのではないか。