山上容疑者を凶行に駆り立てた一族の「壮絶歴史」 「何日も食べてない」兄妹の窮状を知り自殺未遂

✎ 1〜 ✎ 5 ✎ 6 ✎ 7 ✎ 最新
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

A子の夫、つまり私の弟であり徹也の父親は、1984年に飛び降り自殺をしている。A子の父親の建設会社でトンネル工事の現場監督をやっていたのだが、過労とアルコール中毒でうつ状態だった。京都大学工学部卒業で、学者の道を志していたほどまじめな男だっただけに、裏金が飛び交う業界の常識に懊悩(おうのう)していた。現金を持ち運ぶ仕事までやったと本人から聞いたことがある。限界だったのだろう。

その3年前の1981年、A子の母親も白血病によって急死している。A子にとっては精神的な支柱だったから、これも彼女には堪えただろう。さかのぼれば、A子は中学2年の頃、当時小学5年生だった弟も交通事故で亡くしているんだ。

ーー徹也さんの兄も病気だったと報じられています。

長男は生まれてすぐにリンパ腫が判明し、あごが次第に膨らんできた。抗がん剤治療を受けたが、その副作用で片目を失明した。小学生の頃にはリンパ腫が脳に転移し、頭蓋骨を開く手術をしている。5時間にわたる大手術で輸血が必要だったから、私も血液を提供した。

親兄弟の不幸と、長男の重病、そして夫の自殺。何かにすがりたくなる気持ちは、わからなくもない。

A子は夫が自殺した翌年の1985年2月に長女を出産した。徹也の妹B子だ。徹也は重病を抱える兄と、自分が父親代わりとなって面倒をみる妹に挟まれた、3人兄弟の次男として育った。

大黒柱のいないA子一家を見かねた私は、B子が生まれた2カ月後(1985年4月)から毎月5万円ほどの生活援助金を送ってきた。事件後、検察に渡した仕送り用の振込用紙は、封筒がパンパンになるほどの量になっていた。

献金が判明し仕送りを止めた

――A子さんが統一教会に入信し、多額の献金をしていることを知ったのは?

1994年のことだった。きっかけは、うちの近所に住んでいたおふくろ。おふくろは孫たち(徹也たち)をえらく可愛がっていて、しょっちゅう3人を呼び出しては食事したり、小遣いを与えたりしていた。

ある時、おふくろがいつものように孫たちと会っている時、A子が統一教会に献金していることを耳にしたんだそうだ。後から詳細がわかるのだが、1991年に入信していたA子は、夫の生命保険6000万円のうち2000万円、3000万円を次々に一括で献金してしまっていた。おふくろが孫たちから聞いたのは、生命保険最後の1000万円を献金した直後のことだった。

驚いたおふくろがうちの家内に伝え、私の知るところとなった。家内は1994年8月当時、手帳に「統一教会、発覚」というメモを記している。徹也が中学2年生の時だな。

発覚したことで、仕送りはいったん止めることにした。

次ページ援助しても統一教会にお金が流れる
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事