辻仁成「世界一の手作り肉まんを息子と食べた日」 人生の岐路に立つ息子にぼくが語った2つの事

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手作りの肉まんと男2人で語ったこと――(写真:Romix/PIXTA)※※写真はイメージです
1月某日、シングルファザーになった時の絶望感はいまだ忘れられない。あの日から息子は心を閉ざし、感情をあまり見せない子になった。なんとかしなきゃ、と必死になり、どうやったら昔みたいに笑顔に包まれた日々を戻すことが出来るだろうと考えた。
ある夜、子供部屋を見回りに行ったら、寝ている息子が抱きしめているぬいぐるみのチャチャが濡れていた。びしょびしょだったのだ。ええ? びっくりして、息子の目元を触ってみると濡れていた。ぼくの前では絶対に泣かなかった。
その時、本当に申し訳なく思った。自分が母親の役目もしなきゃ、と思ったのもその瞬間だった。
ぼくも息子もあまり食べなくなっていた。大きな冷たい家だったので、これはいけないと思い、小さなアパルトマンに引っ越し、ぴったり寄り添ってあげるようになる。
ぼくの部屋と息子の部屋は薄い壁でつながっていた。がさごそと、いつも寝返りをうつ息子の音を確認しながら、ぼくは眠りに落ちていた……。ぼくは胃潰瘍と診断され、毎日薬を飲んでいた。体重が50キロを切る勢いで落ちていた。食べなきゃ、と思った。そのためにはおいしいごはんを作らなきゃ、と思った。
(中略)
食べることは生きることの基本だった。どんなに忙しくても、ちゃんと料理をすること、そこにそれなりの時間を注ぐこと、それがぼくにとっての再生の第一歩にもなったのである。まもなく、ぬくもりのあるおいしい料理を通して、息子の言葉や声や微笑みが戻ってきた。明るさが戻ってきた。それなりの幸せも戻ってきた。
ぼくは、父であり、母であった。
(辻仁成『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』から。今回は特別に抜粋したものを、3回に渡ってお届けします)
前回:辻仁成「息子と2人で過ごしたクリスマス・イブ」

久しぶりに息子と会って、めっちゃ安心の一日

2月某日、パリに戻った。短い日本滞在だったけど、コロナウイルスのことがあり、しかも帰仏直前に首の裏側にコリコリっとしたしこりが見つかり病院に行き抗生物質を出して貰い(消えない場合はパリで手術)となり、しかも飛行機が悪天候のため16時間遅延したので、もうパリに着いた時は人間としてぎりぎりの状態だった。息子に「ヘルプ」とメッセージを送っておいたら、玄関前に屈強な息子が待ち構えていて、30キロもあるトランクを部屋まで一気にひっぱり上げてくれた。いや、実に頼もしかった。

自分のベッドに倒れ込むように潜り込んで夕方まで寝落ちしてしまった。

次ページ夕方、目が覚めて…
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