1月某日、シングルファザーになった時の絶望感はいまだ忘れられない。あの日から息子は心を閉ざし、感情をあまり見せない子になった。なんとかしなきゃ、と必死になり、どうやったら昔みたいに笑顔に包まれた日々を戻すことが出来るだろうと考えた。
ある夜、子供部屋を見回りに行ったら、寝ている息子が抱きしめているぬいぐるみのチャチャが濡れていた。びしょびしょだったのだ。ええ? びっくりして、息子の目元を触ってみると濡れていた。ぼくの前では絶対に泣かなかった。
その時、本当に申し訳なく思った。自分が母親の役目もしなきゃ、と思ったのもその瞬間だった。
ぼくも息子もあまり食べなくなっていた。大きな冷たい家だったので、これはいけないと思い、小さなアパルトマンに引っ越し、ぴったり寄り添ってあげるようになる。
ぼくの部屋と息子の部屋は薄い壁でつながっていた。がさごそと、いつも寝返りをうつ息子の音を確認しながら、ぼくは眠りに落ちていた……。ぼくは胃潰瘍と診断され、毎日薬を飲んでいた。体重が50キロを切る勢いで落ちていた。食べなきゃ、と思った。そのためにはおいしいごはんを作らなきゃ、と思った。
ぼくの部屋と息子の部屋は薄い壁でつながっていた。がさごそと、いつも寝返りをうつ息子の音を確認しながら、ぼくは眠りに落ちていた……。ぼくは胃潰瘍と診断され、毎日薬を飲んでいた。体重が50キロを切る勢いで落ちていた。食べなきゃ、と思った。そのためにはおいしいごはんを作らなきゃ、と思った。
(中略)
食べることは生きることの基本だった。どんなに忙しくても、ちゃんと料理をすること、そこにそれなりの時間を注ぐこと、それがぼくにとっての再生の第一歩にもなったのである。まもなく、ぬくもりのあるおいしい料理を通して、息子の言葉や声や微笑みが戻ってきた。明るさが戻ってきた。それなりの幸せも戻ってきた。
ぼくは、父であり、母であった。
(辻仁成『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』から。今回は特別に抜粋したものを、3回に渡ってお届けします)
思春期の息子に悩みを打ち明けられ
10月某日、珍しく息子が仕事場に顔を出し、「パパ、悩みがあるんだけど、ちょっと聞いて貰ってもいい?」と訊いてきた。
「何?」
仕事を一度やめて、息子を振り返った。
「身長が伸びなくなった。 去年から5mmしか伸びてない。僕は学年一、背が高かったのに、夏休みが終わって学校に戻ったら、下から数えた方が早いくらい小さくなっていた」
「急に? ティボとかシモンとか、子供みたいだったじゃん」
「あいつら、もう、僕より大きいよ。やっぱフランス人は16歳くらいから伸び出して、日本人は16歳で成長が止まるのかもしれない」
「そんなことあるかよ。努力すれば20歳まではぐんぐん伸びるって。それに、君は175cmもあるんだから、もう十分でしょ?」
「でも、女子も僕より大きいんだ。それで、めっちゃ悩んでる」
「だったら、小魚、肉を食べなきゃ。牛乳も飲まなきゃ」
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