人類の歴史の中で、科学の進歩や発展には、各時代の権力者からの自立が必須でした。新たな科学の発見は、権力者にとって都合の良いものばかりではありません。このため、自分の利にならない研究を妨害することも多々ありました。
ガリレオの地動説などは、良い例で、中世の西洋を支配していたカトリック教徒には不都合でした。ガリレオは宗教裁判にかけられます。「それでも地球は回る」と、科学の真実は権威者にも変えられない、という逸話を残しました。
このような過去の苦い経験から、世界では学問の自由を守り続けています。
今回は、6名が任命されなかった共通の理由として、「研究の軍事利用などに反対していた」という推測が場外で行われています。
明確な説明もないまま、今回の事態を一旦認めると、今後も学会の自由を制限する政治的判断ができます。「政府の方針に合わない研究者は選ばれない」、ことが可能になります。
日本学術会議は、単なる研究者の集まりではなく、国際社会で日本を代表する研究組織です。自立すべき機関の決定を、覆す意図を世界に示すことになってしまいました。
このため、ノーベル賞の登竜門と呼ばれている、世界的学術誌『ネイチャー』が真っ先に日本政府の行動を批判しました。
「なぜ?」という質問に、だれも答えられないというのは、世界の研究者からすると、科学の進歩の妨害を危惧する事態だったのです。
問題の解決には議論が大切
3回の連載で、ウクライナ、ロシア、日本の現状から、大学の存在意義と研究の自由について考えてみました。
人類は、これまで過ちを続けながら、自省し少しずつ前に進んでいます。今、行われていることが正しい判断に基づいているのか、この時点で評価できないことも多々あります。新しい発見には、忍耐力が必要で、とかく時間がかかります。
また、どれが成功するのか、現時点ではわかりません。各研究者が、自分で開拓した未知のテーマを、独自の信念に基づき、継続するしかないのです。このような状況なので、政治家や官吏が、どの研究に何の価値があるのか把握するのは難しいでしょう。
正解は1つではないかもしれないため、十分議論して、その判断に使った基準を後世に残してきました。記録を客観的に残し、後世に未来を託すこと、これが、人類が歴史から学んだことではないでしょうか。
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