日本のコロナ対策が迷走ばかりで的を射ない原因 感染症法にとらわれる非科学で非謙虚な政策の数々

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7月29日、厚労省は「簡易生命表」を発表し、2021年の日本人の平均寿命は女性87.57歳、男性81.47歳で、いずれも過去最高だった前年を下回ったことを明かした。平均寿命が前年割れするのは、東日本大震災があった2011年以来だ。この事実も、ワシントン大学の研究結果と一致する。これでは何のための自粛かわからない。わが国のコロナ対策は早急に見直さねばならない。

8月24日、岸田文雄首相が重い腰を上げた。私は、どのように方向転換するか、岸田総理のリーダーシップに期待していた。

ところが、その期待は裏切られた。岸田総理が表明したのは、コロナ感染者数の全数把握を見直すなど、行政や医療機関の負担を減らすものばかりで、国民生活とは関係がなかった。

政府は来たる臨時国会で、2類相当の見直しを議論する予定で、マスコミにはさまざまな専門家が登場し、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論を展開中だが、これもピントボケだ。見直しを求める人は、保健所への届け出など医療機関の負担が大きいことを問題視し、慎重派は、5類にすると感染者の全数把握が不可能となり、さらに医療費の自己負担が生じるなどを問題とするが、後述する理由から2類・5類問題は議論の余地がないし、国民にとって優先順位は低い。

2類感染症と「共存」などありえない

冒頭にご紹介した患者のように、オミクロン株は感染しても軽症で治癒するケースが大部分を占める。コロナ後遺症など、十分に解明されていないものの、国民の多くがワクチン接種や実際に感染することで、一定レベルの免疫を獲得した現在、オミクロン株は過度に恐れる病原体ではないと私が考えている。個別対応することなく、感染者や濃厚接触者を一律に長期にわたり、自宅などで隔離するのはやりすぎだ。

わが国のコロナ対策が、このようなやり方をするのは感染症法という法的根拠があるからだ。感染症法は感染者を隔離することで、社会を感染から守ろうとするもので、感染者の人権を侵害する。

現に、ハンセン病や結核などへの対応で差別を生み出してきた。このような反省から、感染症法では「まん延を防止するために必要な最小限度」の規制しか認められていないのだから、コロナは即刻、2類感染症からは外したほうがいいだろう。日本政府は「ウィズ・コロナ」を推進している。2類感染症と「共存」などありえない。

もし、慎重派が指摘するように、5類に下げても、全数把握が必要なら、医療機関は感染者数だけ保健所に届ければいい。現在、感染経路からワクチン接種日まで、膨大な情報を報告しなければならないが、こうすれば政府が全数を把握しながら、医療機関の手間は大幅に削減されるはずだ。

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