さらに、感染者の医療費負担が問題なら、自己負担分を予算措置すればいい。いまでも、感染症法の枠組みで公費を支出しているのだから、新たな財源措置は不要だ。岸田政権が本気になれば、すぐにやれることだ。
コロナ対策では、こんな些末な問題よりも、議論すべき重要なことがある。それは感染症法のあり方だ。わが国の感染症法対策は、この法律に基づいて実施されており、これを変えなければ、いつまでも迷走を繰り返す。
この法律の問題は、国家による国民の統制が主体で、国民の権利への配慮がないことだ。この基本姿勢が、わが国のコロナ対策を非科学的なものにして、進歩を阻んだ。
技術で克服した欧米、強制隔離した日本
このことを議論するうえで注目すべきは、わが国の感染症対策の歴史だ。わが国で感染症が激増したのは幕末だ。鎖国をやめ、海外から伝染病が一気に流入した。江戸幕府を引き継いだ明治政府は、感染症対策に苦慮した。当時、抗生物質も検査もなく、国家を感染から守るため、感染者・家族・近隣住民を強制隔離するしかなかった。
もちろん、感染症が問題となったのは、日本だけではなかった。産業革命で都市への人口流入が加速したイギリスでもコレラの蔓延が社会問題となった。当時のイギリスが日本と違ったのは、十分な資本の蓄積があったことだ。民間の資本家が中心となって上下水道を整備し、コレラの蔓延を抑制した。テクノロジーが感染症を克服したのだ。
私は、このような成功体験は、現在も欧米の人々の間で引き継がれていると感じている。コロナ克服に最も貢献したのは、mRNAワクチンを開発したファイザーやモデルナだ。欧米の市民は、チャレンジ精神あふれる企業を応援した。そして、このような企業は政府に依存しなかった。
残念なことに、明治の日本には、そのような資本も技術力もなかった。彼らが頼ったのは感染者の強制隔離だ。そして、その実務を担ったのは、内務省衛生警察と伝染病研究所だった。昭和に入り、結核対策を強化するため、内務省は各都道府県に保健所を設置し、感染症対策の実行部隊となる。
戦後、衛生警察は厚生省(現厚労省)、伝染病研究所は東京大学医科学研究所と国立感染症研究所に引き継がれ、現在も基本的な枠組みは変わらない。明治時代に成立した伝染病予防法は感染症法に名前を変えたが、いまだに強制隔離が中心だ。コロナ対策でも、積極的疫学調査、濃厚接触者探しが強調された。
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