エジプトで400日拘束された記者が語る真実 「ムスリム同胞団」を支援していると疑われた
──被告としての3人は檻の中に入れられた状態で出廷していた。檻の意味は?
1つには警備上の問題だ。被告に心理的プレッシャーを与える意味もある。檻があることで、非常に有害な人がそこにいるという印象を世界に与えることができる。檻の中に入っていると、自分がすでに有罪と言われた感じがした。
──有罪判決をどのように受け止めたか。
気持ちが暗くなった。泣いた。まさか7年間も刑務所にいることになるとは思っていなかったが、実刑判決が出たことで、その可能性があることを本気で考えなければならなくなった。
唯一できることは、目標を作ることだった。次は控訴というのが普通の道筋だが、いつその控訴ができるのか、私たちは分からなかった。だから来週まで生きること、次の訪問まで生きること。時にはその日を終えるまで、あるいは次の1時間が終わるまで生きる。それが過ぎたら次の1時間を考えよう、と。
──刑務所の生活を受け入れるにはどうしたか。
身体が健康で、心理的にも知的にも健康であるように心がけた。どれかを失うと危うくなる。1日を瞑想で始め、歩いたり、走ったりした。刑務所には縦30メートル、横4メートルの廊下があった。ここを毎朝1時間は走った。体重を減らしたい人がいたら、1年間、エジプトの牢獄で過ごすのはどうだろう(会場、笑い)。
学生にもなった。長期間いることになるなら、何かをしなければ生きていけないだろうと思った。そこで、刑務所当局を説得し、オーストラリアの大学の国際関係の修士号をとるために、勉強した。これは今後も続けたい。
瞑想と、運動と、勉強の間には料理もやった。1日のパターンを作ることが重要だ。際限なくあると思われるような時間の中で、やることを作ること、パターンを作ることが、生き抜く唯一の道だった。
30分前に釈放を知らされた
──2月1日に釈放されることが分かったのはいつか。
刑務所を出る30分前だ。「さあ荷物を詰めなさい、行くんだよ」と言われた。別の刑務所にかと聞いたら、「大使館員が1時間でやってくる。準備しなさい。家に帰るんだよ」、と。
──2人を置いていくことについてはどう思ったか。
ファーミーは入院していたので、バーハだけがいた。1人だけ出る可能性もあるだろうということを私たちはすでに話し合っていた。もしそんなことが起きたら、その人は出るべきだ、と。しかし、彼をひとり残し出て行くのは苦しく、今でも(一緒に国外に出られなかったことが)気になっている。2人で抱き合い、また会おう、と言った。
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