エジプトで400日拘束された記者が語る真実 「ムスリム同胞団」を支援していると疑われた

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──2013年12月29日、カイロのマリオット・ホテルに宿泊中に何が起きたのかを教えて欲しい。

最初にお断りしたいのだが、エジプトの政治や裁判についての見解を今は話せない。残る2人は保釈中だが、裁判はまだ続いている(次回審理は23日予定)。他にもアルジャジーラの記者で拘束中の人がいるためだ。

私たちはいつも、普通に報道していれば、まあ安全だろうと思っていた。アルジャジーラが過去にエジプトと衝突したことも知っている。しかし、ジャーナリストとしての倫理基準を守り、一定の範囲内で報道していれば安全だろうと思っていた。

あの日はBBCの友人と食事をした後、部屋にいた。ドアにノックがあって、いっぺんに数人が中に入ってきた。何人だったかは覚えていない。何の説明もなく、部屋の中を物色しだした。男性たちは互いにアラビア語で話していたが、私と話すときは英語を使った。何をしているのかと聞いたが、私には関係ないといわれた。そして警察に連行された。

──逮捕の理由はこの時までに告げられたのか。

説明されなかった。その後は2つの刑務所に行った。敬意を持って扱われたと思う。脅されたりはしなかったし、基本的なものは与えられた。眠る場所、水、食物だ。

──外界の様子はどれぐらい伝わっていたか。

私たちを支援するための運動が起きていて、新聞も報道していることを知った。メディアへのアクセスはかなり限られていたが、時々は看守が何が起きているかを教えてくれたからだ。

自分が幸運だと思ったのはオーストラリアとラトビアの2つの大使館から人が来てくれたことだ。父がラトビア人だった関係で、自分も二重国籍を持った。ラトビアは欧州連合(EU)が私の解放に力を貸すように運動してくれた。英国やカナダの外務省の働きかけもあった。

当初は独房で過ごした。警備状況は厳しかった。小さな独房に24時間拘束されていた。運動も限定的で、ほかの受刑者と言葉を交わすことは許されない状態だった。

怒りを抑えることで乗り切った

──エジプト当局に対する怒りは?

いろいろな段階の怒りを経験した。しかし、私はこう考えた。もし怒りで頭を一杯にすれば、傷つくのは自分だ。独房にいて、自分以外には誰にも怒りを向けることはできない。

私たちを救うためのキャンペーンが、個人的な話ではなくなっていた。私たちを助けるためと言うよりも、政治家・政府に対する、メディアの報道の自由の戦いになってきた。この点がはっきりすると、(不当な扱いは)自分に向けられたものでなく、報道の自由を守るという原則に対する挑戦なのだと理解した。それなら、カリカリする必要はない。絶望したこともあったが、怒りを抱きながら生きていくことはできない。

──昨年6月、テロ組織つまりエジプトで禁止されている「ムスリム同胞団」のメンバーであること、同胞団を支援していること、嘘のニュースを放送したこと、許可なく作業を行ったことなどの容疑に対し、有罪判決が下った。7年間の実刑判決だ。その時の思いは?

非常に大きな打撃だった。

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