赤ちゃんポストに預けられた想定外の男の子の今 預けられた経緯は?実母は交通事故で死亡…

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航一さんを家に迎えた夫妻は、1日1回は抱っこして、夜は川の字で寝た。ニコニコとよく笑う航一さんだったが、夫妻がそれとなく実の両親について聞くと、体中に電気が走ったように固まってしまった。預けられた時、赤ちゃんではなかっただけに「ゆりかご以前」の記憶を抱えていた。

「言葉じゃうまくいえないけど、小さいなりに色々と感じているんだなと思った」。みどりさんは語る。

当時、宮津家の5男は高校生。そのお兄ちゃんに優しくしてもらったり、「100均」に行っておもちゃを買ってもらったり。普通の暮らしを重ねていく中で、航一さんは夫妻を「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになった。テレビでゆりかごが報じられると、「ぼく、ここに入った」と屈託なく言った。

一方で、実の親の情報はないまま。児相の担当課長だった黒田信子さんは「必死に捜そうとしたが、手がかりがなかった」と振り返る。法律の上では、航一さんは「棄児(捨て子)」となり、熊本市が新たに戸籍を作った。

「航一」という名前も、市が付けたものだ。美光さんはこの名に、「広い海を渡る一艘(そう)の船のように、力強く生きてほしい」との願いが込められていると解釈した。成長し、その意味がわかるようになった航一さん本人も、この解釈をすごく気に入った。

本当の名前が分かった

「ゆりかご以前」のことが突然判明したのは、小学校低学年の頃だ。航一さんの親戚にあたる人物が、「自分が預けた」と名乗り出た。自責の念に駆られたという。

この親戚は、ゆりかごの扉を開けた人しか持っていない「お父さんへ お母さんへ」の手紙を持っていた。間違いなかった。

この出来事により、航一さんの本当の名前が分かった。正しい年齢は推定していたものとほぼ同じ。そして、航一さんの実の母親が、航一さんが生後5カ月の時に交通事故で亡くなっていたという重大な事実も分かった。

宮津航一さんの実母の写真とお骨代わりの石
宮津航一さんの実母の写真(上)とお骨代わりの石。高校を卒業した日、航一さんは「たぶん見てくれていると思う。喜んでいるんじゃないかな」(提供=読売新聞社)

「空っぽだったものが埋まったというか、『ああ、そうだったんだ』って分かって、気持ちが晴れた」

生後5カ月といえば、航一さんがゆりかごに預けられるずっと前だ。実父のことは分からない。しかし、少なくとも実の母は、自分を捨てたわけではなかった。

その年の夏休み、航一さんは東日本の寺にある実母の墓を訪ねた。「お骨代わりに」と、そばにあった滑らかな黒い石を大切に持ち帰った。

生前の実母の写真も手に入った。「どんな人なんだろう」と想像していたその母は、自分と同じようにゆるくウェーブのかかった髪をして、優しい笑みを浮かべていた。

次ページ「ゆりかご以降」の日々をはつらつと生きる航一さん
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