赤ちゃんポストに預けられた想定外の男の子の今 預けられた経緯は?実母は交通事故で死亡…

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ゆりかごより前の人生が分かった航一さんは、「ゆりかご以降」の日々をはつらつと生きている。

中学・高校では陸上部に入り、100mで「11秒の壁」を破るべく練習に明け暮れた。高3の時、ついに自己ベストの「10秒96」を記録。高2の冬には、宮津さん夫妻と正式に養子縁組した。

宮津航一さんと両親
自宅で両親と高校卒業を喜ぶ宮津航一さん(提供=読売新聞社)

宮津家では、航一さんの後も多くの里子を受け入れてきた。そうした環境もあって、航一さんは昨年から、「子ども食堂」の活動に熱中している。熊本市内の教会で月1回、地域の子どもたちに昼食を用意したり、一緒に遊んだり。「子どもにとって、居場所ってとても大切だと思うから」。

ゆりかごに預けられた当時の看護部長だった田尻由貴子さんは、航一さんが高校生の時に手紙をもらっている。「他者の幸せのため何ができるのか考えていきたい」と書かれていた。田尻さんは「宮津さん夫妻が航一君を人として尊重し、大切に育ててくれたことが、今の彼につながっている」と思う。

「実例として」語る決意

18歳になった航一さんは、高校を卒業した今春、大きな決断をした。自分の名前を明かし、ゆりかごについて語っていくことにした。

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「どんなに時間がたっても、賛否両論はあると思う。ただ、僕自身はゆりかごに助けられて、今がある。自分の発言に責任を持てる年齢になったので、自分の言葉で伝えたい」

預けられるまでの期間に比べたら、それから先の人生のほうがずっと長い。一番言いたいのは、「ゆりかごの後」をどう生きるか、だ。

真っすぐな航一さんの決意は、ゆりかごを巡るさまざまな声を受け止めてきた慈恵病院の蓮田健理事長から見ると、批判対象となって傷つかないか、心配な面もある。「でも、本人が考えた末に決めたこと。見守ろうと思います」。

4月から熊本県内の大学に進学する航一さん。社会や福祉、そして政治も、広く学びたい。あの時、首相の一言で世論が左右された。市長が決断しなかったら、ゆりかごは始まらなかった。世の中は、いろんな所で繋(つな)がっている。

「僕にできるのは、預けられた実例として自分のことを語ること。親子の関係がしっかりしていれば、『ゆりかご後』はこんなふうに成長するよって、知ってもらいたい」。発信する覚悟を、口にした。

読売新聞社会部「あれから」取材班
よみうりしんぶんしゃかいぶあれからしゅざいはん

過去のニュースの当事者に改めて話を聞き、その人生をたどる人物企画「あれから」を担当。メンバーは社会部の若手記者が多い。人選にこだわり、取材期間は短くても3カ月。1年近くかけることもある。2020年2月にスタート。ネット配信でも大きな反響を呼び、連載継続中。

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