「3年は祖父母が育児」母子で生き抜く起業の哲学 自己啓発書嫌いの人が共感する本「Believe It」

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私は、もともとソフトウェアエンジニアとして働いていました。エンジニアという職業も、今でこそ憧れの職業のようになりましたが、当時はオタクと言われていた時代。また、スタートアップと言ってもIT業界では、大手IT企業から仕事をもらうことで何とかしのいでいるというイメージしかない時代です。

起業するときも、すでに作りたいサービスの構想が具体的にありましたが、インターネット上のサービスという現物が存在しないものを扱うことからか、また、当時は女性ということもあって、私の話を真剣に聞いてくれる人はいませんでした。

資金調達のために商工会議所や金融機関を訪れ、「数千万円の資金が必要です」と言っても、なかなか相手にしてもらえず、ましてやITについて理解を示してくることはありませんでした。ベンチャーの投資家の方にも振り向いてはもらえず、まさに絶望の世界でした。

当初は、起業することは考えていませんでした。私が学生時代からいちばんやりたくない仕事は、社長と営業。「会社作るとか絶対ありえんばい!」とすら思っていました(笑)。

両親に子どもを預けて泣きながら帰る

起業する前の私は、自分の技術を生かせる地元の会社で働きたいと考えていましたが、オファーをいただくのは東京の会社ばかり。息子はまだ3歳で、上京などとてもできる状態ではありません。周囲から「それならば起業すればいい」との勧めもあって、自分が働く会社を自分で作ることにした、という流れです。

最初は本当にハードで精神的につらかったものです。サービスがリリースできるまでに例えば半年かかるとして、設立直後の売り上げが立たない間も、当然スタッフの給料は毎月発生します。サービス開発を進めるために、また資金調達を試みる。

ですが、後悔する暇もありません。すぐ行動に移さないと、明日住むところがなくなるかもしれない。子どもを食べさせなければならないし、いま私が投げ出したら子どもが……と追い詰められていました。

起業してすぐは、出張のたびに息子を車で1時間ほど離れた両親のもとに預けていました。すると父から、「しばらくうちで育てる。この近くの幼稚園に入れるから、小学校に上がるまでの3年間でなんとか軌道にのせろ。そして迎えに来い」と言われました。

両親に息子を託し、週末に会いに行って一緒に過ごし、帰りは泣きながら車を運転して帰る。そのようなことを毎週続けました。

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