「悪魔の詩」著者襲撃が極めて難しい問題なワケ 「表現の自由」はどこまで認められるべきか
小説『悪魔の詩』の著者サルマン・ラシュディは2年前、深刻化する「不寛容な風潮」を批判し、「自由主義社会に欠かせない情報やアイデアの自由なやり取りに対する制約が日々厳しくなりつつある」と警告する公開書簡に、著名な文化人とともに署名した。
書簡は、1989年にイランの当時の最高指導者ルホラ・ホメイニから「死刑」を宣告するファトワ(宗教令)を発せられ、本意ながらも「表現の自由」の象徴となって以降、ラシュディが体現してきた原則を宣言するものといえた。
30年前のファトワがもたらした結末?
人種的公正を求める抗議運動がアメリカを覆ったことを受けて2020年6月に『ハーパーズ・マガジン』に掲載されたこの書簡は、特権意識が垣間見える反動的な文書だという反発も招いた。ある批評家は、これに署名したのは「裕福な愚か者たち」だと批判した。
こうした反応にラシュディは困惑したが、驚きはしなかった。「困難なときに私に味方してくれた人たちが今もそうするとは限らない、と言っておこう」とラシュディは2021年、イギリスの新聞ガーディアンに語っている。「気分を害するものは批判されて当然、という考えを支持する人が増えている」。
8月12日、ニューヨーク州西部の文学イベントに登壇したラシュディが約10回にわたって刺されると、多くの人々は『悪魔の詩』に対し30年以上も前に下されたファトワが、遅ればせながらもこうした恐ろしい結末をもたらしたのではないかと考えた。