「悪魔の詩」著者襲撃が極めて難しい問題なワケ 「表現の自由」はどこまで認められるべきか

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作家たちは、イギリス、フランス、アメリカの首相や大統領と同じく、襲撃を直ちに非難した。ところが、この事件はそれと同じくらいの速度で、表現の自由、リベラルな価値観、「キャンセル・カルチャー」(「差別的」とされる発言を行った人物や組織を社会的に排斥する風潮)をめぐる21世紀の論争の新たな火種となった。

イギリスのコラムニスト、ケナン・マリクは12日、BBCの「ニュースナイト」に出演し、ラシュディを批判した人たちは「戦いには負けた」が「戦争には勝った」と述べた。

「小説『悪魔の詩』の刊行は今も続いている」ものの、「特定の人々、特定のグループ、特定の宗教などに反感を抱かせる言動は間違っている、というラシュディ批判派の核心にある議論は、以前よりもはるかに一般化している」とマリクは言った。「ある程度まで、ファトワは多くの社会に組み込まれ、互いについて話すときに一種の自己検閲機能が働くようになったと言える」。

当時から抗議運動が起こるほど問題作だった

アメリカの作家デイヴィッド・リーフは、『悪魔の詩』の原稿をいま出版社に持ち込んだとしたら、表現が差別的でないかどうかをチェックする「センシティビティ・リーダー」と衝突することになるはずだ、とツイートした。「著者は、言葉は暴力になると言われるに違いない。まさにファトワが述べたように」。

1988年に『悪魔の詩』が出版された当時から、表現の自由をめぐる論争は、一部で記憶されているほど理路整然としたものではなかった。この小説が預言者ムハンマドの生涯をフィクションとして描いたセクションには、多くのイスラム教徒を不快にさせる表現が含まれていた。

そのため、一部からは冒瀆(ぼうとく)的だというレッテルを貼られ、世界のあちこちで暴力的な抗議運動が巻き起こった。警察がイスラム教徒のデモ隊に発砲し、少なくとも十数人の死者を出した1989年のインド・ムンバイでのデモも、その1つだった。ラシュディは1947年に、ムンバイの裕福でリベラルなイスラム教徒の家庭に生まれた。

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