韓国ではこのように、原理原則論や道徳的優位性にこだわるからこそ、妥協なき「明確な謝罪獲得」に躍起になることになる。
「過去を正す」ために、「真の謝罪」を求める
私が知る限り、韓国ほど、さまざまなトピックに関し、「反省せよ! 反省せよ! 謝罪せよ!」と群衆が叫ぶデモを、あれほど大規模かつ頻繁にやっている国は、ほかにない。
ちなみに江南(カンナム)のサムスン本社の前に行くと、いつも「サムスンは何々の道徳的責任をとり、謝罪・補償せよ!」という垂れ幕と自分の連絡先を大きく掲げてデモをしている人々がいる。
こうした「謝罪」と「補償」要求デモは、別にとりたてて日本だけにしているわけでなく、国内的にも活発にやっているのだ。
また、2022年初頭の韓国大統領選挙でも、与野党候補共に家族のスキャンダルなどで国民に何度も「謝罪」を求められており、「謝罪選挙」だと揶揄されていた。そして候補者同士でお互い、「あなたこそ謝罪する必要がある!」とやりあっていたのだ。
このように、韓国では相手が国内だろうが国外だろうが、「反省」と「謝罪」を引き出して、「道徳的優位性」を確認したい人が多い。
だからこそ、単に謝罪を求めるだけでなく、「いったい何に対して謝っていて、反省しているのか」を細かく具体的に追及してくる。
また謝っても、「チンジョンソンインヌンサジェ(真の感情がこもった謝罪)」「ソンイ(誠意)あるサジェ」であることが求められるので、「形式的な謝罪」は逆に怒りに火をつけるのである。
ここに、謝っているのか、謝っていないのか、何に対して謝っているのかを曖昧にして、「なんとでも解釈できる玉虫色の決着を狙う」ことが一般的な日本とは、大きな違いがあるのだ。
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