日本人タジタジ「外国人の強烈な自己主張」の正体 グローバルで勝つために「悪ガキ人材」重用せよ
ただし、自分の意見を主張するときは、日本人より上手に論理を展開する人が多いのは事実です。しかしそれは、単なるスタイルの問題です。その社会に受け容れられやすいスタイルというものは、その社会の習慣によって決められます。
例えば、アメリカ人の場合、子どもでも”I want it”とか”I like it”と連呼して、親に自分の欲求を主張します。もう少し成長すると、” I want it because…”など、理由めいたものを付け加えるようになります。これが論理的表現の始まりとなります。
母親が「それはダメ」と子どもの要求を拒否すると、”Why?”と食い下がりますが、これもまた論理表現の芽生えと考えられます。
子どもの”Why?”に対して、アメリカの親は比較的丁寧に理由を説明しますが、彼らとていちいち説明するのが面倒になるときがあります。そんなとき、彼らが伝家の宝刀を抜くがごとく使う常套句が、”Because I say so”の一言です。この瞬間、議論には終止符が打たれます。
要は「私がそう言っているのだから、ダメ」と言っているわけで、こんな物言いはまったくロジカルではありません。しかし、こうしたスタイルは彼らの社会では広く受け容れられており、実際に彼らが展開している「論理」というのは、実はこのようなものであることも多いのです。
グローバルの交渉では要求したもの勝ち
とはいえ、実際のグローバルの交渉現場では、欧米人のハードネゴシエーションに圧倒され手を焼く日本のビジネスパーソンが少なくないのも事実でしょう。ではなぜ、日本人のビジネスパーソンが欧米人に圧倒されてしまうのでしょうか?
私は生まれ育った環境の違いが大きく影響していると考えています。
欧米人の場合、「自分の要求がハッキリしており、それを強く主張するのに長けている」と本稿の冒頭で述べました。
わかりやすく言うと、彼らは「嫌なものは嫌」「欲しいものは欲しい」という自分の要求を臆さず主張するのが当然であるという環境の中で育ち、それが彼らにとっての日常になっています。
一方、日本ではいわゆる「忖度の文化」がいまだに根強く残っています。自分の要求をストレートに主張するスタイルは周りから疎まれる可能性が高く、相手の顔色をうかがって、お互いの妥協点を探るスタイルのほうがはるかに安全なのです。
しかしながら、グローバルの交渉では「自分の要求」をはっきりさせ、強く要求するスタイルでなければ通用しません。
忖度文化が刷り込まれてしまっている日本人は、「自分の要求」を強く主張することができず、とりあえず、交渉のときだけ取り繕おうとしても、それが日常になっている人たちに敵うはずないのです。
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