出会いから振り返る「相棒・亀山」復帰の真の狙い 1代目から4代目「相棒」を振り返ってみると…

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ただ、再登場の理由はそれだけではないはずだ。もうひとつの復帰の意味は、やはり原点回帰ということだろう。

『相棒』は、正義がぶつかり合うドラマだ。正義はひとつではない。それぞれにとっての正義の衝突、その根底にある「正義とはなにか?」という問いが、『相棒』のこの20年以上の歴史を動かしてきた。

『相棒』ファンのあいだでも人気の高い小野田官房長(岸部一徳)は、その意味でのキーパーソンであった。小野田はかつて右京の上司で、右京が特命係に追いやられるに至った原因をつくった人物でもある。だが右京が特命係に“島流し”にあったあとも、互いの実力を認め合っていて、いざという時は阿吽の呼吸で協力することもある。

そんな小野田が優先するのは、組織の論理だ。警察組織、ひいては国家の秩序を守るためには、時に事件の真犯人を見逃すことも辞さない。一方、右京は、そうした例外を絶対に許さない。社会的地位のある政治家であれ誰であれ、罪を犯せば法の下、平等に裁かれなければならない。

“青臭さ”への原点回帰

つまり、右京の守ろうとする正義は、一見その風貌からは想像がつかないほど青臭い。だから、右京の正義が必ず勝つわけではなく、むしろ負けることも少なくない。表面上事件が解決しても、真の悪は明るみに出ないまま終わることもしばしばだ。『相棒』ならではの、スッキリしない結末、後味の悪さが残る結末は、そうしたところから生まれてくるものだろう。

キャラクター的には好対照でありながら、右京のそうした青臭い正義に最も共鳴していたのが薫だった。「正義とはなにか?」を子どもたちに教えるために、警察を辞めてまで遠い異国の地でボランティアとして働くという決断も、まさに青臭い以外のなにものでもない。

したがって、亀山薫の帰還は、『相棒』における“青臭さ”への原点回帰ということになるだろう。

では、その青臭い理想の正義を実現するために、右京と薫のコンビはなににどう挑むことになるのか? それ以前に、2人はどのようなかたちで再会を果たすのか? そしてバディとしての関係性になんらかの変化は生まれるのか? 2人の再会を祝す気持ちとともに、いまから興味はつきない。

太田 省一 社会学者、文筆家

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おおた しょういち / Shoichi Ota

東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。現在は社会学およびメディア論の視点からテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、音楽番組、ドラマなどについて執筆活動を続ける。

著書に『刑事ドラマ名作講義』(星海社新書)、『「笑っていいとも!」とその時代』(集英社新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『水谷豊論』『平成テレビジョン・スタディーズ』(いずれも青土社)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)など。

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